481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 20:54:03 ID:lrnHU44B
御宿勘兵衛政友と言う侍がいた。
彼は武勇の者であり、今川義元、武田信玄、勝頼、北条氏直と仕え、
北条滅亡の後は結城秀康に一万石で仕えたが、秀康の死後、何が気に入らなかったのか牢人となり、
大坂の陣が始まると、豊臣秀頼の招きに応じ早速大阪城に入城した。
御宿勘兵衛この時秀頼より、戦に勝ち天下を取り戻せば越前一国を与える、との書付をもらい、
この時より『越前守』を名乗ったと言う。
彼は冬の陣において、蜂須賀への夜討などで大いに活躍した。
そして夏の陣、四月二十七日のこと
御宿は大阪を密かに出て、京の板倉勝重の下を尋ねた。
板倉、自分の所へと来た仔細を聞けば、御宿
「私は子にほだされてここへ参ったのだ。私の子が江戸で放埒な事を仕出かし、
禁獄されたと聞き及んだ。どうか、わが子を御赦免いただきたい。その為に私は、
侍として相応しくないことをこれより述べる。
明日二十八日、家康公、秀忠公の両御所様が、京より大阪に向けて御動座なされると聞く。
これにより防備が手薄になったところを、大阪方は古田織部と申し合わせ、
京、伏見を焼き払う計画を立てている。
秀頼公より過分の御恩に預かっていながら、このような密告をするのは武士の本意でないこと、
よくわかっている。しかしこれは、我が子を救いたい一心でのことなのだ。」
板倉はすぐにこれを家康に報告。家康はその内容を信用し、「御宿なら小田原にいた時から
存じておる。このたびの忠節、息子だけではなく御宿本人も許し、このまま我が陣に留まらせ
奉公させよ。」と、板倉に言った。
御宿は板倉よりこれを聞くが、「最前より申し上げているように、わたしは秀頼公より深い恩顧を
頂いている。この上はせめて、秀頼公のためこの身を捨てるしかないのだ。
出来うるなら、私の代わりに息子を召し出してやって欲しい。」
そう言うと又、大阪へと帰っていった。御宿からの情報により、二十八日の動座は中止となった。
五月七日、御宿勘兵衛は天王寺・岡山合戦にて討死。
奇しくも彼がかつて仕えた越前松平家の手の者に討たれた、とのことである。
482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:15:20 ID:7d7kPH3S
息子思いのいい話、だけど武士としては一分の立たぬ悪い話…。
483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:49:57 ID:mPEJFC4w
>>481
極めて高確率でとばっちりのゲヒ殿かわいそす
484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:08:52 ID:ksdOHxYs
織部一家のその後を知ってると、とっても悪い話・・。
487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 06:03:30 ID:PGh2hm7Y
>>481
なんだか高待遇なのに代替わりのときに跡継ぎが気に入らないとかいう理由で辞めちゃう人って
江戸時代初期にやたらいるイメージがある。なんでだろう?
戦国時代を生き残ってきた人たちにすると同時代を生きた主君以外の世代に
仕えたくないという感じの共通認識でもあったのだろうか?
もったいないことするよなぁって思うのは後世の人間たちの視点だからなんですかね?
488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 08:09:24 ID:i9CrBGsm
江戸時代というか戦国時代が何度も主変えるのが常態だったので
そういう気風がまだ残ってたんでしょう
それにまだまだ腕に覚えある人なら就職先には困らなかったし
だんだん平和な世になったのだと認識されるにつれ再就職は難しくなっていくが
だから解雇されないように忠とか義とか殉死などでアピールしなければならなくなるのだけど
489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 09:12:04 ID:oipJTKXO
あとまあ、そういう人たちってのは代々の縁などなく、家ではなく主君個人との契約のような
意識があったというのも
御宿勘兵衛政友と言う侍がいた。
彼は武勇の者であり、今川義元、武田信玄、勝頼、北条氏直と仕え、
北条滅亡の後は結城秀康に一万石で仕えたが、秀康の死後、何が気に入らなかったのか牢人となり、
大坂の陣が始まると、豊臣秀頼の招きに応じ早速大阪城に入城した。
御宿勘兵衛この時秀頼より、戦に勝ち天下を取り戻せば越前一国を与える、との書付をもらい、
この時より『越前守』を名乗ったと言う。
彼は冬の陣において、蜂須賀への夜討などで大いに活躍した。
そして夏の陣、四月二十七日のこと
御宿は大阪を密かに出て、京の板倉勝重の下を尋ねた。
板倉、自分の所へと来た仔細を聞けば、御宿
「私は子にほだされてここへ参ったのだ。私の子が江戸で放埒な事を仕出かし、
禁獄されたと聞き及んだ。どうか、わが子を御赦免いただきたい。その為に私は、
侍として相応しくないことをこれより述べる。
明日二十八日、家康公、秀忠公の両御所様が、京より大阪に向けて御動座なされると聞く。
これにより防備が手薄になったところを、大阪方は古田織部と申し合わせ、
京、伏見を焼き払う計画を立てている。
秀頼公より過分の御恩に預かっていながら、このような密告をするのは武士の本意でないこと、
よくわかっている。しかしこれは、我が子を救いたい一心でのことなのだ。」
板倉はすぐにこれを家康に報告。家康はその内容を信用し、「御宿なら小田原にいた時から
存じておる。このたびの忠節、息子だけではなく御宿本人も許し、このまま我が陣に留まらせ
奉公させよ。」と、板倉に言った。
御宿は板倉よりこれを聞くが、「最前より申し上げているように、わたしは秀頼公より深い恩顧を
頂いている。この上はせめて、秀頼公のためこの身を捨てるしかないのだ。
出来うるなら、私の代わりに息子を召し出してやって欲しい。」
そう言うと又、大阪へと帰っていった。御宿からの情報により、二十八日の動座は中止となった。
五月七日、御宿勘兵衛は天王寺・岡山合戦にて討死。
奇しくも彼がかつて仕えた越前松平家の手の者に討たれた、とのことである。
482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:15:20 ID:7d7kPH3S
息子思いのいい話、だけど武士としては一分の立たぬ悪い話…。
483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/03(日) 23:49:57 ID:mPEJFC4w
>>481
極めて高確率でとばっちりのゲヒ殿かわいそす
484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:08:52 ID:ksdOHxYs
織部一家のその後を知ってると、とっても悪い話・・。
487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 06:03:30 ID:PGh2hm7Y
>>481
なんだか高待遇なのに代替わりのときに跡継ぎが気に入らないとかいう理由で辞めちゃう人って
江戸時代初期にやたらいるイメージがある。なんでだろう?
戦国時代を生き残ってきた人たちにすると同時代を生きた主君以外の世代に
仕えたくないという感じの共通認識でもあったのだろうか?
もったいないことするよなぁって思うのは後世の人間たちの視点だからなんですかね?
488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 08:09:24 ID:i9CrBGsm
江戸時代というか戦国時代が何度も主変えるのが常態だったので
そういう気風がまだ残ってたんでしょう
それにまだまだ腕に覚えある人なら就職先には困らなかったし
だんだん平和な世になったのだと認識されるにつれ再就職は難しくなっていくが
だから解雇されないように忠とか義とか殉死などでアピールしなければならなくなるのだけど
489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 09:12:04 ID:oipJTKXO
あとまあ、そういう人たちってのは代々の縁などなく、家ではなく主君個人との契約のような
意識があったというのも
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コメント
人間七七四年 | URL | -
御宿さんは、本当に一体何が不満で万石蹴ってまで浪人しちゃったんだろう?
名立たる武人だけに、個人的に惜しいなぁ。
( 2010年01月04日 05:32 )
人間七七四年 | URL | -
親の愛情が武士の本分に勝っちゃったのか…
現代なら良い話だけれど、戦国的には悪い話だねぇ
( 2010年01月04日 10:36 )
人間七七四年 | URL | mQop/nM.
>御宿さんは、本当に一体何が不満で万石蹴ってまで浪人しちゃったんだろう?
知行の不足を訴えて退散、らしい。
( 2010年01月04日 15:02 [Edit] )
人間七七四年 | URL | mQop/nM.
まあ豊家と徳川=幕府の戦は武士の習いだから是非もないとして、京・伏見の街を無闇に焼き討ちする(大坂方の)非道な企みにはくみしない、って態度だったのかもしれんよ。決着は武士同士、戦場でつければいいじゃんっていう。
この御宿さんは、戦場で討ち死にしたくてわざわざ(勝ち目のある幕府方でなく)大坂入城したと言われる御仁だもん。
家康も御宿さんの戦装束や戦いぶりを伝え聞いて“勘兵衛は武将の心得が出来てる(実戦を忘れていない)頑固者だな、だがそれがいい”……なんて評したという話もあったはず。
( 2010年01月04日 21:09 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
>知行不足
初めて知りました。有難う!!
( 2010年01月05日 09:20 )
人間七七四年 | URL | -
御宿氏は葛山氏の一族であり、
小田原北條氏や武田氏から養子をもらった本家より血が濃いというのが自慢の一族。
葛山氏自体が今川、北條、武田氏に囲まれ勢力を維持していた(郡内小山田氏と同様)ため、
非常にプライドは高く知行の不足で浪人した。(葛山氏時代でも御宿氏は万石を有していた)
戦国時代から江戸幕府へ移る時期は葛山氏(御宿氏)のような国人が冷遇されているので、
勘兵衛の行動は国人の悲鳴とも言える。
( 2010年01月06日 21:23 )
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