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立花宗茂の養子入り、そして立花道雪の死

2010年01月09日 00:06

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 09:17:53 ID:eES7IsMi
立花宗茂の話が出てたので便乗して道雪&紹運、
宗茂の逸話を織り交ぜたお話を。

立花道雪が落雷で半身不随となり不幸にみまわれた頃(1576年頃)のお話。
当時龍造寺家、毛利家との争いが激化しており両家との合戦中のことであった。
道雪が指揮している部隊の一角が崩れ大ピンチ!
そんな時道雪が大声で叫んだ。
「我が輿を敵中に入れよ!命が惜しければその後輿を置いて逃げよ!」
主君を敵中に置いて捨てていく事など出来ない。
輿周りの武者達は一斉に太刀を抜き敵陣深く突撃し始める。
まっしぐらに敵軍のど真ん中へ輿が突撃し始めると道雪は三尺ばかりの棒を
取って輿を叩き、「エイトウ!エイトウ!」という声を上げる。
これを聞いた武者達は「それ戸次音頭が始まったぞ!」と
言うやいなや、我先にと競って敵を攻めたてる。
一旦は崩れた者たちもこれを聞くと皆脇目も振らずに敵陣に突っこみ、一斉に斬りかかる。
万一部下たちが躊躇していると「どうした、はようせい!!」と怒声が響き
鬼の形相で輿の前後を激しく棒で叩かれる。
そのため道雪の部下たちは遅れをとることを敵から逃げることよりも恥としたという。
この噂は遠く武田信玄にまで届いており、道雪と相見えたかったと言ったという。

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 09:19:04 ID:eES7IsMi
このような恐るべき雷公様へ養子に行く事になった宗茂
宗茂の実父・高橋紹運は「宗茂は当家の嫡男であります。平にご容赦を。」と断ったのだが、
道雪は事あるごとに何度となくねだり、ついに首を縦に振らせたという。

宗茂の婿入りが決まり、立花山城へ向かうため別れる宴でのこと。
紹運は自らの愛刀である備前長光を差し出した。
「宗茂、これを取らす。受け取るがよい。」
「はっ、有難き幸せにございます。」
「これより親子の縁を切る。」
「は、はっ?父上、それはどういう…」
「戦国の習いじゃ。こののちわしとお前が敵味方になったらその時は自ら願い出て
 道雪殿の先鋒となり、この刀でわしを討ち取りに参れ。よいな?」
「…」
「返事はどうした?道雪殿は未練がましいことを好まれぬお人柄ゆえ、
 何事にも迷いがあってはならぬ。」
「はっ!宗茂、承知つかまつりました!」
「うむ。またお前が何か不覚により道雪殿から離縁される事があるかもしれないが、
 その時は当城に帰って来てはならぬ。潔くこの刀で自害せよ。」
このようにして刀を宗茂に与え、道雪の元へ送り出したという。


795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 09:20:06 ID:eES7IsMi
時は流れて天正12年(1584年)頃のこと
沖田畷の戦いで龍造寺隆信が島津家に敗れ戦死したため龍造寺家が島津家の傘下となってしまう。
立花・高橋軍は結束して龍造寺・島津勢を破って筑後への侵攻に成功するが
道雪が筑後・猫尾城攻めの陣中にて高齢のため病に陥ってしまった。
道雪の容態を気遣う手紙を送ってきた宗茂・千代に対し、道雪はこう返した。
「自分の死後、遺骸に甲冑を着せ柳川の方に向けてこの地に埋めよ。その後陣を引くがよい。」

その後、道雪は亡くなってしまったが宗茂夫妻、家臣一同敵陣へ道雪の亡骸を
置いたまま陣を引くことなど出来ないという結論に達した。
道雪の棺を輸送しながら陣を引くことになったのだが、何故か島津勢からの追撃がない。
ふと島津陣中を観ると道雪の死を悼み喪に服する島津勢の姿があった。
島津勢の中には道雪の死に涙する者も居たという。

辞世の句は「異方に 心ひくなよ 豊国の 鉄の弓末に 世はなりぬとも」
訳:これからも当家は戦ばかりが続くであろうが大友家の敵に心を揺さぶられるな。
  決して大恩に仇で返してはならない。




799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 09:38:16 ID:21CCZc0k
>>793
やべえ、朝から涙出ちゃったんだけど……。
かっこよすぎんだろ、宗茂。

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 10:15:04 ID:n3IyOE9J

宗茂が婿入りするときの「もし離縁されたら云々」て言葉は初めて聞いたな。
紹運は将としてもだが、親としてもホントに出来た人だな。
そら宗茂も完璧超人になるわw

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 17:33:33 ID:pjgVfugG
落ち目の主君に見切り付けるのは必ずしも悪じゃないのに
3代揃って義理堅くってまあ

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コメント

  1. - | URL | KoMHmL3Y

    >>立花道雪が落雷で半身不随となり不幸にみまわれた頃(1576年頃)のお話。
    >>この噂は遠く武田信玄にまで届いており、


    !?

  2.   | URL | X.Av9vec

    信玄のはお話の類だろうが道雪が半身不随になったのはいつなのかよく分かってないんだよな。
    1568年あたりまでは二本脚で合戦に参加してたような記録があるらしいが実際のところどうなんだろう?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    最後に「もし父がお前より早く死んだら、その刀を形見と思い父の教えに従って生きよ」と付け足したバージョンもある。

    その後の宗茂の行き様を見てると、紹運の遺した教えというのがどういうものだったか、分かる気がするな。

  4. 人間七七四年 | URL | 1otbLqFk

    長光って両刃で剣みたいだね
    そして今も残ってるってことは形見として大切にしてたんだろうなぁ…

  5. 人間七七四年 | URL | GZ/gRaNQ

    >>この噂は遠く武田信玄にまで届いており、
    たしか、江戸時代の作り話じゃなかったっけ?

  6. 人間七七四年 | URL | -


    だから、逸話に突っ込み過ぎは無粋だってw

  7. 人間七七四年 | URL | -

    だが死後の世界があるなら信玄が『紹運や宗茂みたいな子供欲しかったorz雷神様ウラヤマシス』と思ってても不思議はないと思った。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ちょっとまて。雷神ウラヤマシスって思うのは信玄だけじゃないはずだ

  9. 人間七七四年 | URL | eZy.rgm6

    あんな完璧超人みたいな子供は戦国武将なら誰でも欲しい罠ww

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