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井伊家から皇室へ塩鮭が献上された

2010年01月11日 00:07

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/10(日) 13:23:18 ID:MIKHQO2L
鮭の話なんだが・・時代がわからん
(戦国末期か江戸初期?)

井伊家から皇室へ塩鮭が献上された。
その夕、鮭が天皇の食卓に並んだが、半分残したと聞いて
「御気に召さなかったか・・」と気を落とす井伊家の使者に、取次ぎ役が
「お上はたいそうお喜びになり、残り半分は明日に取っておくと言われました」
と伝えた。
天皇の食卓には7種の馳走を並べる決まりがあったが、
そのうちの3~4種には赤い札が置いてあった。
これは既に腐っているから食べないようにという印である。

皇室の困窮さを物語る話
鮭嫌いの人、スマンナ




881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/10(日) 16:38:32 ID:4rmhpWaC

>>878
>既に腐っているから食べないようにという印
何そのトリアージ・・・井伊家からってことは江戸期の話だよな
貴重品の鮭を半分残したのは分かるけど、マジで!?

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/10(日) 16:49:16 ID:20cO0w+7

井伊家は南北朝時代南朝方で活躍した家で、皇室とは
非常に繋がりが深かったらしいので、これはおそらく
皇室が最も衰微した、応仁の乱から信長の上洛
あたりまでの話じゃないかな?

実際には、皇室の経済的状況は信長→秀吉→家康の順番で
良くなってる。天皇の代替わり儀式である大嘗祭は室町末期から
断絶して、江戸期になってようやく復活した。

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/10(日) 17:08:29 ID:yaiR1ZlM
>>881
宮家の窮乏は有名な話。

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/10(日) 19:16:06 ID:4rmhpWaC
>>883
へぇ、井伊って以前から朝廷と繋がりがあったんだね
一介の井伊谷の郎党ではなかったのかー

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この鮭の話は孝明天皇の話で、献上したのは毛利家だったと聞いた覚えがあるなぁ。
    半分残して晩酌の時に残りを楽しまれたという話。

  2. 人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    考明天皇と鮭について、全く同じ話をきいたことがある。ただし献上したのは松平容保だけど。どれが、本当にあった話なのやら。
    それとも、全部あった事なのかもしれないな。当時、朝廷は貧乏、鮭は貴重品。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    司馬遼太郎の小説「王城の守護者」では容保のエピソードとしてよく似た話が紹介されてた。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    うは、腐ってるって分かってても
    7種並べる決まりだから置いてたのか…
    悲惨だなぁ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    孝明帝と会津容保の話が一番一般的だと思う
    毛利家の話は聞いたことない、つかむしろ勤皇浪士は帝の周囲の公家には金をばら撒いたが、帝ご自身への配慮はまるでなかった(まあ蛤御門で砲弾を御所内に撃ち込むレベルだし)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    井伊って南朝系だよな
    しかも宗良親王婿にするくらいれっきとした

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