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家康は物見の鳥居忠広を待っている

2010年01月12日 00:07

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/10(日) 21:51:57 ID:i+OfinSE
「忠広はまだか……」

徳川家康は心中穏やかではない。武田信玄が家康陣を無視して
西進したからである。家康は物見の鳥居忠広を待っている。

「殿ーーーー!」
「おお、戻ってきたか!はよう、はよう報告せい!」

「殿、いかに士気が旺盛でも信玄と戦ってはなりませぬぞ。
敵は山に布陣しております。戦えばふもとから攻めることとなり、
我らは確実に敗れましょう」

(なにをぬかすか!)

忠広は率直に述べたのであろうが、生憎と家康は苛立っていた。

「俺はお前が有能だと信じてこの大事に物見を任せたというに、
そのように臆病ではどうにもならぬ!おおかた武田の大軍に恐れを
なしたのであろう!」

(あ、あまりのこと……)

忠広は『臆病』という言葉にキレた。

「俺は有能で戦況を見極める能力があるから勝敗が分かるのだ。
戦いを仕掛けて敗れたら、あなたの責任だからな!勝敗の予測さえ
つかぬ者こそ臆病者よ!」

そう吐き捨てて忠広は去った。そして忠広の予想通り家康は信玄に
敗れ、忠広もこの戦で死んでしまった。





605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 01:37:52 ID:S0a8gZB4
>>600
久しぶりのめんどうくさい三河武士だ

鳥居忠広は殿軍で討ち死したそうです。
最期に意地を見せたのか・・・

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 18:51:54 ID:q31qJIj8
>>600
講談「湯水の行水」だな。
三方ヶ原の前夜、物見から帰ってきて籠城を唱えた鳥居忠広に対して成瀬正義が
腰抜けと罵って喧嘩するお話。

二人は仲直りするけどともに戦死してしまう。

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