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九州の一夜城

2010年01月12日 00:14

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 01:20:01 ID:xZ6uOCVJ
九州の一夜城

 益富城は秋月街道と日田街道が交差する交通の要衝「大隈」の街近くにあった城である。
当時の「大隈」は長崎街道ができ「飯塚」が栄えるまでは筑豊地区一の街であり、
益富城は大内・大友・毛利と領有権が移り、ラスボスの九州征伐時は島津方
秋月種実の城であった。

 羽柴秀勝率いる九州征伐軍はまず手始めにとばかりに秋月氏の支城のひとつ岩石城を
いとも簡単に攻略した。
そのあまりの猛攻ぶりに秋月勢は支城を捨て、拠城の古処山城に篭城する作戦をとった。
当然、益富城も放棄したのである。

 放棄翌日の夜、九州征伐軍が「大隈」の街に到着。そしてしばらく経つと「大隈」の街は
炎に包まれた。
その炎は益富城から5キロ以上離れた古処山城からも良く見え、「大隈」の街は
火の海の様に見受けられた。
さすがラスボスやってくれるぜ・・・と思われた翌朝だが「大隈」の街は
何事も無かったかの様にそこに存在した。
しかも益富城が一夜にして白壁の立派な城に変身していたのである。
この事態に秋月種実は戦意を喪失し、その後ラスボスに降伏することになる。

 秋月氏を降伏に追い込んだ「大隈炎上」と「益富城変身」、この仕掛けは簡単なものであった。
「大隈炎上」はただ街人に一斉にかがり火を焚かせたものであり、
「益富城変身」は街人から徴収した戸板・障子などを集め紙を貼ったただのハリボテだったのだ。
このような策を弄したのはおそらくは秀勝の副将蒲生氏郷だと思われる。

その後の益富城は黒田氏の筑前六端城のひとつとして後藤又兵衛→母里太兵衛と城主を変える。
一国一城令により廃城となるまで対豊前(細川領)への備えとして活躍したのである。




929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 05:34:07 ID:pwZKH5UW
秋月さんも重臣の意見を受け入れて早期に豊臣に降伏していればなぁ
それまで大友、龍造寺、島津と渡りあうくらい政治感覚は優れてたのに

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 09:43:53 ID:V8d2U/9J
>>929
秋月と同族の筑前原田家は、所領没収だよ。
俺の先祖は、そこの家老。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%A8%AE

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 12:10:51 ID:qQg2CDvV
>>929
でも家はちゃんと残って、後には上杉鷹山を輩出したから、結果オーライでしょ。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    秋月家は大友に従ってた時期も内心は執拗なくらいに反大友だから、豊臣側に大友がいる以上、簡単に従うつもりはなかったと思う。

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