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本多正重 「これぞご返事に候」

2010年01月14日 00:07

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 12:24:53 ID:64mCZX0X
本多三弥左衛門正重と言う人がいる。
あの本多正信の弟で、物好きだがいやしいところが全く無く、常に身に香の香りをただよわせる
風流人であったが、さらには信長から『海道一の勇士』とまで呼ばれた武勇の者でもあった。

この正重、長篠の戦いの後、徳川家を出奔し牢人となり放浪したが、
ある時滝川一益に仕えて、播磨神吉城攻めに参加した。

この日の戦いにおいて、滝川軍の幕下に入った牢人の多くが手柄を立てる働きをしたが、
正重は何の武功も得られなかった。
彼は当時既に高名な勇者であった。これに一益は使いを立てて

『そなたはこれほど高名な武士であるのに、今日首尾が無いのはどういう事か?』

と言ってきた。これに正重
「この返事は明日申しましょう」と伝言した。

次の日、正重は名のある者の首二つを取ると言う殊勲をなした。その上で一益に
報告した

「これぞご返事に候」


この時代を代表する勇者の一人の心意気である。




14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 17:11:30 ID:auDpEoqS
口で言うより、行動で示す
理想像だね

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 18:24:23 ID:KqtqRKho
ちくいちめんどくせーよ

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 18:49:40 ID:IpFMEDh0
めんどくさいけど扱いを間違えなければ忠節は尽くす、
主君に諫言も厭わず、しかも文武に秀でた人間が揃ってる。
こんな家臣ばかりだもん、そりゃ天下もとるわな。

逆に譜代の家臣もいないのに天下人になった秀吉の異質さが際だつな。

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 08:16:50 ID:ahqzR10A
>>13
近くにいる武者が法螺貝を吹き損なうと益々めんどくさいので、
タイミングがむつかしい三弥さんですね

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 11:30:38 ID:SZR2sEMS
>>13
天地人にも出てたけど政重ってやっぱり
言葉より行動で示す素直で実直な人間だったんだな
加賀藩に再就職後、後妻のおとらさんや部下達が後を追っかけてくわけだわw

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 11:49:21 ID:Gg4LPdUF
それは甥じゃ

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 13:19:48 ID:EEDKRzxJ
叔父甥で同じ名だから混同しやすいんだよなw

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 14:07:56 ID:fawX8RiH
政重と正重
名前は似ている

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コメント

  1.   | URL | -

    「あの」本多正信の弟だったからこそ、口先でつべこべ言わず結果を見せ付けるような真似をした……と勘ぐるのは考えすぎだろうか?
    兄さんのほうは口だけだの腹黒だのと言われ放題だったから、尚更自分は口先だけの返事になるのを恐れて奮戦したんじゃなかろうかね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    Re: タイトルなし

    > 「あの」本多正信の弟だったからこそ

    正信が家康側近として頭角をあらわすのはこの時代よりもうちょっと後。
    この頃は下手するとまだ徳川家に帰参していないかも知れない。

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