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美濃の蝮と尾張のたわけ、その邂逅

2010年01月20日 00:05

820 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 23:10:48 ID:DOyHMIQJ
美濃の梟雄、斎藤道三の婿は世に大たわけとの評判が高かったが、道三は信じなかった。
「皆が皆たわけと申すような者は、存外たわけでは無いものよ。俺みずから婿に会い、
事実を確かめてやろう。」

美濃と尾張の国境、正徳寺で婿と会見することになった道三は、婿を脅かしてやろうと、
寺の門前の街道に衣服を整えた八百人の家臣を並べて、自分は街道沿いの町屋に隠れ
婿の来るのを覗き見ようと、待ち構えた。

「こ、これはw」やって来た婿を見た美濃衆は、苦笑せざるを得なかった。

"…萌黄の平打にて茶筅の髪を巻き立て、湯帷子の袖を外し、のし付の太刀脇差、二つ
ながら長束に、みご縄にて巻かせ、太き芋縄、腕ぬきにさせられ、お腰の周りには猿使いの
様に火燵袋、瓢箪七つ八つ付けさせられ、虎革・豹革四つばかりの半袴を召し…''

現代で言えば、舅との食事会に金髪無造作ヘアに上半身は裸の上にアロハだけ、下は
ポケットパンパン、アクセジャラジャラのハーフパンツで来たようなものだ。
さらに「老人雑話」によると、"広袖の浴衣に、陰茎の図を大きく染めて…''となっている。
裸アロハにチ○コのバックプリントとか、道行くオバサンに汚い物でも見るような目を
向けられるレベルである。

821 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 23:12:05 ID:DOyHMIQJ
だが、会見の場に姿を見せた道三の婿を見て、美濃衆は度肝を抜かれた。
"御髪折曲げに、一世の始めに結わせられ、何染置かれ候知る人無き褐色の長袴召し…''
先程までの金髪アロハが、黒髪オールバックにタキシードで現れたようなものである。

驚く美濃衆を尻目に、婿は広間を通り抜け、縁側の柱に背をもたせかけた。
道三が着座しても態度を改めぬ婿に、たまりかねた仲介役の堀田道空が声をかけた。
「こちらが、斎藤山城入道殿にござるぞ。」
「…で、あるか。」婿は道三に軽く一礼すると、席に着いた。
ようやく対面した舅と婿は、形ばかり食事を共にし、言葉を交わして別れた。

帰国の途上で、側近の猪子兵介が道三をなだめるように言った。
「いや、あの態度!やはりどう見ても、あれはうつけにござりましょう。」
「………」
あの早変わりも、無礼を承知で縁側に陣取ったのも、こちらを警戒し虚を突くため、入念に
準備してきたものだろう。
別れ際、美濃兵と尾張兵がすれ違ったが、尾張兵の槍の方が長かった。槍ぶすま主体の
歩兵の槍は、長い方が有利である。しかも長槍を整然と揃えて行軍するのは、かなりの
調練を必要とする。
…が、わが配下どもは、あの男の立居振舞いに気を取られ、そんな事は気付こうともせん。

"無念なる事に候。山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候。''
道三の苦い予言は、十数年後に現実のものとなる。




822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 23:19:31 ID:F7C5rwlq
有名な話だけど、この話まだ出てなかったのか…
この話で散々扱き下ろされてる猪子さんは、
本能寺の時まで信長の側近として仕えて死んでるんだよな
それだけ長い間信長の配下で居れたのだから、
結構優秀な人だったはずなんだけど…この扱いはかなり可哀想だ

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 00:27:19 ID:un1BsL3u
一番かわいそうなのは義龍だと思うんだ。
このお話が広まった結果、
義龍時代は信長は美濃に足がかりも築けなかったこととかガン無視されることが多いし

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 01:23:46 ID:3aXtO5nr
>>823
そりゃ、義龍時代の信長は美濃にはまったくノータッチなんだから
信長の視点で語るのなら、義龍時代が触れられないのは当然だろ

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 01:33:53 ID:un1BsL3u
>>825
長良川合戦の後と永禄三年の桶狭間の後、
東側の脅威が少ない時期に頻繁にちょっかい出してるよ>信長

結果は得るところなく敗退してる
(長良川合戦の起きた弘治二年ごろは、三河で田峯菅沼氏や西郷氏、
奥平氏などによる大規模な反今川反乱が起きてて織田家はフリーハンドだった)

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 01:57:26 ID:miSDti95
義龍は強かったんだぜ・・・道三「息子は手ごわいぞ」

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 02:08:55 ID:zgmwIXkH
>>822
道三の息子である斎藤利治も二条城で死んでいる。
猪子もだけれど信忠付きというのはそれなりの位置だよね。

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 07:41:11 ID:O46BzNkO
息子にぶっころされてる時点で道三の目はもうろくしてたとしかいえない

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 09:37:02 ID:3aXtO5nr
>>827
長良川合戦の後って道三救援にきた信長の撤退戦のことか?
桶狭間の後も信長は三河で兵を動かしていても、美濃への出兵はほとんどないよ。
それでも約七年にたった一度、他に主戦線がある状態でちょっと小兵をだしては退却しただけで
>美濃に足がかりも築けなかった
なんてまるで信長が何度も攻め込んではことごとく敗退したかのような印象を与える描写はどうかと。

別な例を出すと、明智光秀は丹波を攻略するのに最初に攻め込んでから足掛け四年かかった。
しかしこれも内実をみれば、最初の数ヶ月の作戦と敗退後はまるで丹波に手を出さず他方面の
戦争にかりだされていただけで全く手付かず。その後に再出兵した第二次で問題なく攻略成功。
これをもって、開始と終了の年月日だけをみて「波多野氏は光秀の攻撃に四年も耐えたのだ」
なんて言えますかね?

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 10:06:56 ID:KLPzMLPQ
波多野じゃなくて赤井直正の評価じゃないの?

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 10:48:05 ID:mejrptl4
>>834
義龍が良く国内を纏め、調略などを受ける隙を作らせなかった、
という意味では
>美濃に足がかりも築けなかった
という表現も良いと思うけど、少し噛み付きすぎじゃないか?w
他に主戦場が有ったのは、相対的に美濃に攻める価値が低い(経済的、地勢的、軍事的、名分的)からで、
その要素の一つに義龍の指導があったのはまぁ間違いないのだからねぇ。

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 16:13:23 ID:Ou3bGrow
信忠は美濃が領地だったから、現地の情勢に明るい人間を付けておいたってのもあるんだろうね

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 18:10:31 ID:V5td71de
美濃衆は岐阜城時代の信長の直下の遊撃部隊だったから
それを引き継いだだけとも言える
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    調略の隙も与えないってのは評価に値すると思うんだがね
    義龍の弟だったかの長龍は有能で信長に取り立てられてる

  2. 斎藤すごす | URL | -

    ゆっても義龍そっこーで死んでるけどな。

    道三が土岐につかえてた時って名前なんだっけ?長、がついてたきがする。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    1560年 桶狭間の戦い
    1561年 義龍死亡


    これ以前に美濃にちょっかい出してるとかいうのは甫庵信長記と当代記の創作だから。

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