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落ちゆく織田秀信

2010年01月27日 00:01

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 00:13:25 ID:y1i15NtW
関ヶ原、岐阜城攻めの時の事、

城方の者の中には相当の武功を誇る人間も多かったのだが、そう言った人々は尽く
自身の功を得るため城外に出て戦った。
そのため、城方が東軍への降伏を受諾し、城主織田秀信が下城する頃には、その傍に居たのは、
家老の木造長正一人であったと言う。
他の者たちは皆、残らず信秀より先に落去ったのだそうだ。

「忠義の道が衰えると、人は皆、自分の身を利するようになると言うが、まさにその通りである。」

人々、城より落ちゆく織田秀信の寂しい姿に、そのように語り合ったと言うことである。




23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 01:55:47 ID:OereBmwL
秀信さんは降伏の前に、
禄を失った部下達が再仕官の時に困らない様にって
手柄を立てた人達みんなに感状を与えてるんだよね・・・

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 07:12:33 ID:niv2CuhC
>>23
信長の嫡孫とか言われて担がれたけど、きっといろんな人に気を遣いながら育ったのかもな。
と、その感状の話を見るたびに思う・・・・

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 08:29:47 ID:yAdmIQAx
その話は良く聞くが、
家臣は再就職できたのかな?

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 11:08:16 ID:2uQ/vSNh
越前黄門や時代がズレるが駿河大納言に仕えてたりすると面白いな…

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 23:06:26 ID:Ei+E0/Ut
木造は福島家、百々綱家は山内家に仕えてるな
他にも福島や池田といったあたりに仕えたのが多い

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 23:10:32 ID:vTd+zk94
岐阜の秀信を攻めた家に仕えた人が多いのかな。
いい働き見せてスカウトされたとか?

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 23:27:47 ID:Db4ZY39Z
同情されたんじゃないのかね。
すぐ落城しちゃったし何もする時間なかたろうし

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 23:59:30 ID:OereBmwL
元の持ち主が目の色変えて攻めてくるなんてあんまりでござる

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 00:49:30 ID:3uD654QS
岐阜城は落城した回数が一番多い…らしい

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 01:05:44 ID:KewzhjOZ
小田城とかも多そうだなあ……w

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 02:32:15 ID:pJqhIs6z
高屋城も結構落ちてるよな
10回は経験してるはず

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 02:35:04 ID:J8gvgnQn
僕のハートはもっと沢山落城してます・・・

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 03:13:33 ID:rwVv5+dI
>>31
稲葉山城だったころも合わせてなのかね

36 名前:31[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 03:44:42 ID:3uD654QS
すまない
ちょっと調べてみたら「比較的有名な」城の中では一番多いらしい
ちなみに6回だそうだ

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 03:56:31 ID:JIoDFSoH
>>34
浮気性だなあ
そんなにたくさんの女性と付き合うなんて

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 04:20:25 ID:qAGFGYZQ
>>36
堅城で有名って割には多いよね。
物凄い弱点でもあるのかな?それとも戦国後期には防備が陳腐化していたとか?

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:17:27 ID:7bcm1xj/
>>38
なまじ要衝だから本気で攻め落とされる→要衝だから破却されずに再利用される
のコンボだったんじゃないか

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 09:34:31 ID:/kIXE3TS
>>38
久保田正志の『日本の軍事革命』によれば、戦国後期は火器の発達普及により、山城の防御力が落ちた
(正確には、寄せ手側の攻撃力が上がった)。
その結果、新規築城は高低差で防御力を取る山城が激減し、代わって堀と塀で水平に距離を取る事で防御力を上げる
平山城が増加したんだとか。

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 09:55:38 ID:EQninXdV
九州征伐でも小田原征伐でも兵力差があったとはいえ山城が一瞬で落ちてるしなぁ

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 10:56:36 ID:3gNU8Aao
紹運量産しないと厳しい

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 13:10:07 ID:iG0Uepe+
>>40
清が明を城攻めする時は、大砲で城壁に穴を開けるんだってね

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 13:46:29 ID:Dwm0wmny
>>43
大陸の城は城郭で街まで取り込んでるからねぇ

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 14:27:47 ID:IXa0lZM7
>>40
> 代わって堀と塀で水平に距離を取る事で防御力を上げる

「水平」ってのは語弊があるな。やはり敵を迎え撃つには縦深が重要なわけで。
平城も山城も、「高い場所にいる守備兵が低い場所にいる敵兵を討つ」という思想は
変わらない。

山城と平城の防衛思想の違いとして、多くの山城は敵の攻撃を尾根伝いのものに限定出来る、
点の防衛を指向しているのだが、各曲輪は基本独立して防衛し、連携が殆ど存在しないことと、
一旦一箇所でも曲輪を占拠させると、そこが逆に敵の射撃陣地となり、近隣の曲輪まで
沈黙させられると言う弱さがある。

これに対し平城は、曲輪を巧みに組み合わせ、敵の進入路は複数あるが、いずれにも複数の曲輪から
射撃を集中させられる場所(キルゾーン)が分厚く存在し、主郭が落とされるまで抵抗が可能な
「面での防衛」を指向している。

平城が増えたのは鉄砲が発展して、それを効果的に使用し、また「面の防衛」のできる
縄張りを、比較的自由に造形出来るため。山城はどうしても地形での制限が多い。

ただ山城が時代遅れになったのか、といえばそういうわけではなく、
面を意識した山城が、関ヶ原以後ですら作られたりしている。(黒田氏の筑前鷹取城など)

山城が滅んだのは防衛能力と言う以上に、国内での戦争がほぼ消滅し防衛拠点としての
存在意義を消失したことと、一国一城令により、城と言うものが、その存在を政庁としてのものに
転換したため、と考えた方が良いかと。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも、どうして秀信さんは西軍へ付いたのでしょう?秀吉寄りで育ったからですか?確か、家老が東軍へと勧めたけど断わったのですよね?どなたかその辺りご存知の方居ますか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >そもそも、どうして秀信さんは西軍へ付いたのでしょう?

    これについてはさまざまに考察することが可能ですが、
    「これだ」というものは残されていないようです。

    ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212224117?fr=rcmd_chie_detail

    こちらに同様の質問がありましたので
    目を通してみてはどうでしょうか。

  3. 人間七七四年 | URL | Pnsj6K02

    >30
    太田「セコムしてないのが悪い」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    コメ2番の方へ
    有難う御座いました。

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