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中村新兵衛の死に様

2010年01月29日 00:12

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 02:32:52 ID:gb7jpn+m
中村高次という武将がいる。
それ自体、あまり通りのよい名ではない。
鑓中村、あるいは中村新兵衛といえば多少は通りが良くなるかもしれない。
三好家の重臣であり、武辺の人であった。

永禄七年、戦国中期の巨人の一人である三好長慶が河内飯森山城で没した。
この頃に三好家の重要拠点である芥川山城を預かったのが、松山安芸守、松山彦十郎と
この中村新兵衛である。

さて、永禄十年のこと。
松山安芸守とともに三好三人衆方についた中村新兵衛は、松永久秀に止めを刺すべく東大寺の
三好本陣に在った。
列座の席次から言えば、三人衆方の総大将は一門筆頭たる三好日向守長逸であっただろう。
しかし、どうした風の吹き回しだったか。軍議の席において、突如総大将を互選で選ぶという話が
持ち上がった。
なにぶん、兵力で松永方に勝った上で、東大寺を盾にしての布陣である。
仏罰や、それに伴う不名誉への気後れもあったのかもしれない。
かくて、あれよあれよという間に互選の話は進み、なんとしたことか中村新兵衛が総大将に
選ばれてしまった。

こんなものは、無茶の無理押しの話である。
承服できぬ、と新兵衛は固く断った。しかし、長逸とて汚名は当然受けたくはない。
無理を、押し通した。新兵衛を、説き伏せ、みなの勧めとして総大将を飲ませた。

「……選ばれた以上、それに報いねば生きただけの価値とてない」

新兵衛はそう、嘆息してこれを受けたという。

果たしてまもなく、東大寺は深夜の失火により焼け落ちて、
その混乱を奇貨として劣勢の松永勢は夜襲を断行、三好三人衆方は総崩れとなった。
この混乱の中、中村新兵衛は討ち死にを遂げた。
彼はたとえ互選とはいえ三好党の総大将を引き受けた身として、
敗軍の中に踏みとどまって、弟正之とともに討ち死にを遂げたのである。

かくして義を貫いた中村新兵衛の死に様を、
のちに伝え聞いた(久秀あたりからか?)織田信長は義士であると賞賛したという。
成り行きをしっかりと受け止め、己に課した勤めを果たした武人の義侠心のあるお話。

ただしソースは甫庵信長記なので信憑性はあんましない。




376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 03:07:52 ID:7EcZOIWS
最後の一行が決め手となって、又聞きの又聞きを聞いた…ってぐらいなレベルの話になっちゃった。

久秀が焼き討ちの責任を逃れるための話にも聞こえるし…。

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 07:40:08 ID:lwnumM20
久秀「本殿に火をつけたの三人衆だよ!ホントだよ!」

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ちなみにこの人、菊池寛の「形」に出てくる中村新兵衛その人だそうで

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