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相模、三浦氏の最後

2010年02月01日 00:04

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 02:14:21 ID:FHbbaDrY
戦国時代で神奈川県って言ったら、小田原ばかりで他が地味な気がする。
というわけで戦国時代早々に滅んだ地元の三浦氏の話。

当時日の出の勢いであった北条早雲こと伊勢宗瑞と戦い続けていた、扇谷上杉傘下の三浦義同であったが
大局は覆し難く次々に城を落とされ、神奈川県の端っこ、三浦半島の新井城にまで追い詰められてしまう。

だがこの新井城、海に囲まれた天然の要害であり、水軍の支援もあって中々落ちない。
義同も中々の傑物であった上に、その息子義意は八十五人力の勇士と名高い大男の怪物
宗瑞もこの新井城を落とすのに難儀し三年の時が流れた。
しかしながら多勢に無勢、とうとう城内の糧食も尽き、ついに三浦氏は最後の時を訪れる。
三浦勢は城門を明け払い最後の戦いに打って出た。
ここで三浦義意が怪物っぷりを発揮するのだが、まとめにあったので省略
三浦勢は北条軍に多大な損害を与えるも、ことごとく討ち死してしまう。

三浦義同の辞世の句
討つ者も 討たるる者も かわらけよ くだけて後は もとの土くれ

城内に残った者達も次々に身を投げて
海は流れ出た血で変色し、油を流したようになってしまった。

以来この地は油壺と呼ばれるようになりましたとさ。

まぁ知ってる人も多そうだが、まとめになかったので書き込みます。




185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 05:40:57 ID:g0wbIbGN
>>183油壺の所以ですな。

これの荒次郎義意ちゃんね。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1771.html

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まあ戦国時代の相模は早雲・氏綱・氏康チート三代の独壇場だからなあ
    他が地味でもしょうがないべ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    八十五人力という中途半端な数はなんだろう

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