226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:31:57 ID:9Vp7RM9C
このスレでは結構知名度が上がったので説明は省いてもよさそうになった
常陸の戦国大名小田氏治には、後々名前が残っているだけでも二人の息子がいた
一人は色々氏治に似たところがあるのが怖い嫡子・小田守治
そしてもう一人が、今回話す人物、庶子・小田友治である
一応友治の方が年齢的には九歳上なのだが、側室の子であったのだ
他にもそういうことが多々あるが、嫡男より年上の庶子はぞんざいに扱われがちである
大体は出家するか、良くて養子、もしくは人質として他国に送られるのが戦国の習い
友治も父が華麗に上杉謙信を裏切り、北条と同盟を結んだ際、小田原に人質として送られた
でもまあ、彼はその方がある意味幸せだったのかもしれない
北条家では他国からやってくる人質の少年など珍しくはなかったし
その後父が再び謙信に降り北条を裏切っても、その代償に殺されるということも無かった
友治は北条家で教育を受け、北条家で元服し、そのまま北条家の家臣になった
そうして友治は一生を北条家家臣として過ごすことになるかと思われたが、
友治が42歳の時、北条家は豊臣家によって滅ぼされてしまった
で、この友治は教育が良かったせいなのか、氏治に似ず案外有能だったから
スライド式に北条家から豊臣家に再就職が叶い、秀次に仕えることが出来た
再就職先での彼の仕事は自分の血筋を生かしたものだった
関東仕置きの後、関東はほぼ佐竹と徳川のものとなったが
これらの土地の内情を「先祖の墓参り」と称して潜入し、調査する。はやい話がスパイである
友治は見事にこれをやりとげ、常陸の地理や寺社仏閣の縁起、佐竹の内情を秀次に報告した
彼はその仕事で認められて、秀吉から船奉行に任ぜられ伊勢などに八千石を下賜された
この頃、友治は小田の家祖の名である八田を名乗るようになる
没落し結城秀康の陪臣となって小禄を食んでいる弟よりも、こちらが嫡流だという意識が湧いたのだろうか
この後も友治は朝鮮に渡り武功をたてるなど、豊臣家臣としてなかなか頑張っていた
227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:34:56 ID:9Vp7RM9C
ところが、秀次事件がおきる
秀次の死に際しては、出奔し行方をくらませたために幸い命は助かったが
苦心して築いてきた豊臣家でのキャリアは全てご破算となった
それでも小田の人間らしくハングリー精神にあふれる友治は今度は徳川家に就職した
そして、父や弟と同じ結城秀康に仕えることとなった
ここでも友治はなかなか有能だったため重用されて、
秀康に意見をのべたりすることもままあるほどになった
ところがさすが小田の人間というか、彼もこういうときにコケる
慶長五年八月、友治は主君秀康と共に対上杉の牽制として宇都宮にあったが
主君がこれに不満を抱いているのは明白だったから、友治は
「今は東西に敵があり、お家の存亡を決める時です
君命といっても受け入れられない時というのが世の中にはあります
戦いに臨んで勇気の無いものは孝子ではありません
秀康公におかれましてはひそかにここを引き払い西上し
見方の軍に合流して先駆けを願い出れば、
家康公もきっと気持ちをわかってくださるはずです」
と主君に進言した。秀康はその進言を喜んで受けた。
で、わかってもらえなかったのである
家康はこの秀康の先駆けに激怒し、それを勧めた友治を憎んだ
友治は弟の守治の家臣となることを命じられたが、友治のプライドはそれを許せなかった
彼は結城家を退去した。
その後、ちょこちょこ出仕先を変えたりしていた友治だったが、
最終的には出家して、京都で死んだ
228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:37:22 ID:9Vp7RM9C
ところが、小田の血筋の因果はまだ尽きないのだ
この友治の子、義治はこんな父の生き方を見て育ったためか
やっぱり自分が名門・小田の嫡流だという意識があった
で、彼は豊臣秀頼に仕え、大坂の陣に際しては小田家伝来の旧領
つまり小田城のあのあたりの回復を条件に、全国から小田の家臣を集めて戦った
これが数は定かではないが、結構集まったのである
ただしもう徳川の旗本になっていた菅谷さんは来なかったので
それが悪かったのか、大阪城は落ちた
で、さすがは小田の人間というか
重傷は負ったものの、義治は生き残るのである
そしてどういう縁かは知らないが、福島正則に誘われてその客分になり
布団の上で病死した
氏治さんも濃いが、その系譜も濃いよね
229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:39:15 ID:85wdHz76
何と言うか…
小田家には「軽率」と「悪運」の血が色濃く流れすぎているなw
230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:41:33 ID:NkMJttWd
なんか呪われてんじゃないかこれ…
例によって運命が悲惨であっても人望はあるけどw
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:43:46 ID:cnYlui2x
氏治さまの血は不滅だね
232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:44:34 ID:7f0EonSN
語弊はあるだろうが、このスレのためにあるような家だな。
233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 00:14:14 ID:2OnIhGO8
なんだろうな、小田の血筋はみんなこんなんなのかw
234 名前:201[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 00:52:49 ID:9wiRcNP4
冬姫が人気らしくてよかった。
それよりもオチの家光への突込みが少ないのが気になる。
235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 00:56:03 ID:JK1Tixtx
一応死なないんだから運はいいんだよなw
236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 01:45:07 ID:63M1N3EU
・小田政治
足利晴氏に味方→河越夜戦で大敗
・小田氏治
お察し下さい
・小田友治
北条に仕官→滅亡
秀次に仕官→秀次事件
秀康に仕官→秀康若くして死亡・忠直改易
・小田義治
秀頼に仕官→滅亡
市松に仕官→改易第一号
日根野さん程じゃないけどデス一族だな
このスレでは結構知名度が上がったので説明は省いてもよさそうになった
常陸の戦国大名小田氏治には、後々名前が残っているだけでも二人の息子がいた
一人は色々氏治に似たところがあるのが怖い嫡子・小田守治
そしてもう一人が、今回話す人物、庶子・小田友治である
一応友治の方が年齢的には九歳上なのだが、側室の子であったのだ
他にもそういうことが多々あるが、嫡男より年上の庶子はぞんざいに扱われがちである
大体は出家するか、良くて養子、もしくは人質として他国に送られるのが戦国の習い
友治も父が華麗に上杉謙信を裏切り、北条と同盟を結んだ際、小田原に人質として送られた
でもまあ、彼はその方がある意味幸せだったのかもしれない
北条家では他国からやってくる人質の少年など珍しくはなかったし
その後父が再び謙信に降り北条を裏切っても、その代償に殺されるということも無かった
友治は北条家で教育を受け、北条家で元服し、そのまま北条家の家臣になった
そうして友治は一生を北条家家臣として過ごすことになるかと思われたが、
友治が42歳の時、北条家は豊臣家によって滅ぼされてしまった
で、この友治は教育が良かったせいなのか、氏治に似ず案外有能だったから
スライド式に北条家から豊臣家に再就職が叶い、秀次に仕えることが出来た
再就職先での彼の仕事は自分の血筋を生かしたものだった
関東仕置きの後、関東はほぼ佐竹と徳川のものとなったが
これらの土地の内情を「先祖の墓参り」と称して潜入し、調査する。はやい話がスパイである
友治は見事にこれをやりとげ、常陸の地理や寺社仏閣の縁起、佐竹の内情を秀次に報告した
彼はその仕事で認められて、秀吉から船奉行に任ぜられ伊勢などに八千石を下賜された
この頃、友治は小田の家祖の名である八田を名乗るようになる
没落し結城秀康の陪臣となって小禄を食んでいる弟よりも、こちらが嫡流だという意識が湧いたのだろうか
この後も友治は朝鮮に渡り武功をたてるなど、豊臣家臣としてなかなか頑張っていた
227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:34:56 ID:9Vp7RM9C
ところが、秀次事件がおきる
秀次の死に際しては、出奔し行方をくらませたために幸い命は助かったが
苦心して築いてきた豊臣家でのキャリアは全てご破算となった
それでも小田の人間らしくハングリー精神にあふれる友治は今度は徳川家に就職した
そして、父や弟と同じ結城秀康に仕えることとなった
ここでも友治はなかなか有能だったため重用されて、
秀康に意見をのべたりすることもままあるほどになった
ところがさすが小田の人間というか、彼もこういうときにコケる
慶長五年八月、友治は主君秀康と共に対上杉の牽制として宇都宮にあったが
主君がこれに不満を抱いているのは明白だったから、友治は
「今は東西に敵があり、お家の存亡を決める時です
君命といっても受け入れられない時というのが世の中にはあります
戦いに臨んで勇気の無いものは孝子ではありません
秀康公におかれましてはひそかにここを引き払い西上し
見方の軍に合流して先駆けを願い出れば、
家康公もきっと気持ちをわかってくださるはずです」
と主君に進言した。秀康はその進言を喜んで受けた。
で、わかってもらえなかったのである
家康はこの秀康の先駆けに激怒し、それを勧めた友治を憎んだ
友治は弟の守治の家臣となることを命じられたが、友治のプライドはそれを許せなかった
彼は結城家を退去した。
その後、ちょこちょこ出仕先を変えたりしていた友治だったが、
最終的には出家して、京都で死んだ
228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:37:22 ID:9Vp7RM9C
ところが、小田の血筋の因果はまだ尽きないのだ
この友治の子、義治はこんな父の生き方を見て育ったためか
やっぱり自分が名門・小田の嫡流だという意識があった
で、彼は豊臣秀頼に仕え、大坂の陣に際しては小田家伝来の旧領
つまり小田城のあのあたりの回復を条件に、全国から小田の家臣を集めて戦った
これが数は定かではないが、結構集まったのである
ただしもう徳川の旗本になっていた菅谷さんは来なかったので
それが悪かったのか、大阪城は落ちた
で、さすがは小田の人間というか
重傷は負ったものの、義治は生き残るのである
そしてどういう縁かは知らないが、福島正則に誘われてその客分になり
布団の上で病死した
氏治さんも濃いが、その系譜も濃いよね
229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:39:15 ID:85wdHz76
何と言うか…
小田家には「軽率」と「悪運」の血が色濃く流れすぎているなw
230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:41:33 ID:NkMJttWd
なんか呪われてんじゃないかこれ…
例によって運命が悲惨であっても人望はあるけどw
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:43:46 ID:cnYlui2x
氏治さまの血は不滅だね
232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:44:34 ID:7f0EonSN
語弊はあるだろうが、このスレのためにあるような家だな。
233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 00:14:14 ID:2OnIhGO8
なんだろうな、小田の血筋はみんなこんなんなのかw
234 名前:201[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 00:52:49 ID:9wiRcNP4
冬姫が人気らしくてよかった。
それよりもオチの家光への突込みが少ないのが気になる。
235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 00:56:03 ID:JK1Tixtx
一応死なないんだから運はいいんだよなw
236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 01:45:07 ID:63M1N3EU
・小田政治
足利晴氏に味方→河越夜戦で大敗
・小田氏治
お察し下さい
・小田友治
北条に仕官→滅亡
秀次に仕官→秀次事件
秀康に仕官→秀康若くして死亡・忠直改易
・小田義治
秀頼に仕官→滅亡
市松に仕官→改易第一号
日根野さん程じゃないけどデス一族だな
237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 01:51:09 ID:upovvfv5
小田原の時に何をとち狂ったか小田城奪回の挙兵しないで
佐竹配下でもいいから小田原参陣してたら歴史が変わったかもな
239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 03:51:01 ID:WbsQ8YFB
どうしてこういちいち時代の流れに逆らった選択をするんだw
240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 06:41:06 ID:OTZL3AXO
逆神の先駆けだなw
241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 08:26:12 ID:pH4rPIKV
味方にすると恐ろしいが敵にすれば頼もしい小田一族
242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 08:36:16 ID:z/iNQtkQ
世代を越えて、何度でも小田家は打ち破られるw
243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 09:08:13 ID:kkmX7WCi
そのくせ完全には潰されず何度でもしぶとく復活するあたり侮れない
244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 09:38:43 ID:slKffcwS
まさに蛙の子は蛙だなw
245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 10:36:49 ID:dATfTc77
大阪の陣でも呼びかけに応じて旧家臣が集まって来たくらいだ
何か殿様として萌え要素があったに違いない
……萌えとか言うな>俺
246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 11:05:40 ID:63M1N3EU
佐竹に降っても忠義を貫いた菅谷の範政さんは大阪の陣前に没してるからなー
生きてたら駆け付けてそうで怖い
247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 13:18:02 ID:Xin5itJ1
どういうわけか、本来なら正式に小田を継いだ嫡流は
小田原の役の後はおとなしく結城秀康に仕えた弟の守治なんだが
こうして小田らしく不屈の闘志を見せ付けるのは庶流の兄・友治の系列なんだな
友治には義治のほかにも息子がいるんだが、こちらも自分が小田の嫡流だと主張していたらしい
友治の系列には鬱屈した何かを感じるな
248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 17:05:55 ID:qwxzfXF2
>>245
「この主君は俺(達)が盛り立ててやらねば……」
って思わせるモンを持ってたんだろうね。そうでもなければ、いくら昔からの殿さまとはいえ、こうも義理立てされんだろう。
249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 17:11:49 ID:cPGd7ZNf
こういう殿様なら「のぼうの城」の著者が題材にすればいいのに
263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 11:53:47 ID:Ij9s5Iz1
>>238
市松も
小田
志賀
佃
塙
可児
村上(来島)
など毎回多くの問題児家臣抱えて大変だな
265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 16:47:17 ID:pxXKtC3d
>>261
平山五郎のように(彼は左目だが)、右からには滅法強いかもしれんぞ。
>>263
まさしく類は(ry
266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 22:46:14 ID:RYlEg16J
>>263
地元の人なので村上さんの問題児っぷりをkwsk。
まとめにも載ってる頼宣に茶を出されたときにごねた話くらいしか思い浮かばないけど
それなら眞鍋くんも入れてあげようよ。
村上さん、長宗我部を除けば地味~な四国勢では実は残ってる逸話が多い人では?と思うんだけど。
小田原の時に何をとち狂ったか小田城奪回の挙兵しないで
佐竹配下でもいいから小田原参陣してたら歴史が変わったかもな
239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 03:51:01 ID:WbsQ8YFB
どうしてこういちいち時代の流れに逆らった選択をするんだw
240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 06:41:06 ID:OTZL3AXO
逆神の先駆けだなw
241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 08:26:12 ID:pH4rPIKV
味方にすると恐ろしいが敵にすれば頼もしい小田一族
242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 08:36:16 ID:z/iNQtkQ
世代を越えて、何度でも小田家は打ち破られるw
243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 09:08:13 ID:kkmX7WCi
そのくせ完全には潰されず何度でもしぶとく復活するあたり侮れない
244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 09:38:43 ID:slKffcwS
まさに蛙の子は蛙だなw
245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 10:36:49 ID:dATfTc77
大阪の陣でも呼びかけに応じて旧家臣が集まって来たくらいだ
何か殿様として萌え要素があったに違いない
……萌えとか言うな>俺
246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 11:05:40 ID:63M1N3EU
佐竹に降っても忠義を貫いた菅谷の範政さんは大阪の陣前に没してるからなー
生きてたら駆け付けてそうで怖い
247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 13:18:02 ID:Xin5itJ1
どういうわけか、本来なら正式に小田を継いだ嫡流は
小田原の役の後はおとなしく結城秀康に仕えた弟の守治なんだが
こうして小田らしく不屈の闘志を見せ付けるのは庶流の兄・友治の系列なんだな
友治には義治のほかにも息子がいるんだが、こちらも自分が小田の嫡流だと主張していたらしい
友治の系列には鬱屈した何かを感じるな
248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 17:05:55 ID:qwxzfXF2
>>245
「この主君は俺(達)が盛り立ててやらねば……」
って思わせるモンを持ってたんだろうね。そうでもなければ、いくら昔からの殿さまとはいえ、こうも義理立てされんだろう。
249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/01(月) 17:11:49 ID:cPGd7ZNf
こういう殿様なら「のぼうの城」の著者が題材にすればいいのに
263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 11:53:47 ID:Ij9s5Iz1
>>238
市松も
小田
志賀
佃
塙
可児
村上(来島)
など毎回多くの問題児家臣抱えて大変だな
265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 16:47:17 ID:pxXKtC3d
>>261
平山五郎のように(彼は左目だが)、右からには滅法強いかもしれんぞ。
>>263
まさしく類は(ry
266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 22:46:14 ID:RYlEg16J
>>263
地元の人なので村上さんの問題児っぷりをkwsk。
まとめにも載ってる頼宣に茶を出されたときにごねた話くらいしか思い浮かばないけど
それなら眞鍋くんも入れてあげようよ。
村上さん、長宗我部を除けば地味~な四国勢では実は残ってる逸話が多い人では?と思うんだけど。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
小田家の人はジャンプの人気出た漫画みたいだな、もう終わるだろと思ってもなかなか終わらないww
( 2010年02月02日 00:46 )
人間七七四年 | URL | -
「秀吉がふられた話」のレスが混じってるよ
( 2010年02月02日 02:41 )
人間七七四年 | URL | l5pNJLvE
>小田家の人はジャンプの人気出た漫画みたいだな、もう終わるだろと思ってもなかなか終わらないww
「もうちょっとだけ続くんじゃ」ですね、わかりますよ
( 2010年02月02日 03:18 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
レスでちらっと言われてるが、嫡流だと主張してるのは義治の弟の友重だな。
幕府に俺が小田家嫡流ですってわざわざ書状を書き起こしてるんだが、
その魂胆は、その嫡流の俺に小田家旧領をたのむから返してくれってことだったようでw
まぁ普通に却下されるんですけど。
小田さんちは先祖伝来の土地を心から愛してたんだね…
( 2010年02月02日 11:31 )
人間七七四年 | URL | -
おお、誰も投下しなければ投下しようかと思ってた話だw
(現在作成中の、氏治様の動画が完成したら一緒に投下しようかと思ってた)
同じ考えの人がいるとは実に嬉しいぜ。
動画完成したらば、そん時にまた補足とかでも何か支援投下しようかな。
( 2010年02月02日 12:41 )
人間七七四年 | URL | -
楽しみにしてまつ<動画
( 2010年02月02日 14:42 )
人間七七四年 | URL | -
小田家は滅びぬ!
何度でも負け続けるさ!
( 2010年02月02日 19:22 )
人間七七四年 | URL | -
一族揃ってなんという超絶低火力不死鳥www
( 2010年02月03日 14:20 )
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