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捕縛後の長宗我部盛親・いい話

2008年10月24日 00:07

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 19:39:00 ID:/LpgPX/C
>>981
関ヶ原の時ほど有名じゃ無いが、大阪の陣でもこんな話があるな。

大阪の陣のあと長宗我部盛親が捕まり、二条城の門前で晒し者にされた。
やがて雨が降り出したが、盛親には笠も与えられず雨ざらしのままであった。
そこに島津家久が通りかかり、警備の者に「長宗我部殿を濡れたままにさせているとは
なんとはしたない、この笠をかけて差し上げろ!」と、自分の笠を差し出した。

ところが盛親は「私は濡れてもなんとも無い。それより家久殿こそ登城の際に濡れては困るだろう」
と、笠を返そうとした。しかし家久はそのまま笠を置いていってしまった。

また、井伊直孝も晒し者にされている盛親の格好がみすぼらしかったのを見て、
自分の着物をうち掛けた。

これに対しても盛親は、「井伊殿はかわった人だな。」

と悪びれず言った。


本来的にはいい話なんだろうけど、盛親の態度に、どうにもいい話にさせない何かがあるw




989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 20:27:39 ID:JDt2l8gd
なんか良くも悪くも庶民じみてるなこの人w
寺子屋の先生が長かったからなのか・・・いい話の方の逸話といい、大阪の陣に参戦しない方が良かったんじゃ

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 20:43:38 ID:/LpgPX/C
>>989
でもまあ、捕まった時には、「何で一手の大将なのに討ち死にや自害しなかったんだ?」って聞かれて、
「雌伏して再起するために決まってるだろ!」って言ってたりする。逸話的にはまんま
三成のポジションなんだよな。


991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 21:19:56 ID:RMu+RqxA
捕縛されても荒れたり卑屈になったりしないのはまさに大将の器だろう

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 21:29:22 ID:1TiBLY8b
荒れるのは同意だが、生存の為の冷徹な計算による卑屈さもリーダーには必要でなかろうか。

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 21:34:43 ID:o6HwBOEt
旧臣のほとんどがちゃんと再就職できていたら
「25歳の時本気で指揮とってたらどうなったかなぁ」とかたまに思いながらも
普通に寺子屋師範で人生終えてもいい人なきがする
環境的には京と八丈島の差はあれどあの人とあんまり変わらないし
その辺の在京文化人とも交流あったみたいだし
一応若狭で坊さんになて生存説もあるが


994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 21:37:40 ID:3H3swvmE
まあ他の大阪の浪人衆と違って元国持ち大名だしな。
秀頼は別としても他にいたっけ?


995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 21:40:57 ID:/LpgPX/C
>>992
そう言うのをやったってタイプの逸話もあるね。
「お願いです命だけは」って、命乞いをして、ダメだとわかると>>988の態度になる、って奴。

ただ、盛親の場合、卑屈になるにせよ毅然としているにせよ、どうも場違いな感じがするんだよね。
彼は、一手の将以外の何者でもなかったわけで。

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 21:51:57 ID:o6HwBOEt
彼が死んだら長曾我部の秦の始皇帝(と自称する)からの血脈ガチで絶えちゃうからな
のちに酒井家の5000石の家老になったという弟は本当にいたんですかね?

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 22:01:58 ID:/LpgPX/C
>>996
足立七左衛門こと長宗我部康豊ね。
占い師に化けた逃亡譚とか、酒酒井忠利との出会い方とか、以上に伝奇臭が強いんだよなー。

足立家自体は酒井の家臣として続いているから、一応本当にいたとは思われるけど。

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