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流石イトコ殿は容赦がなかった

2010年02月17日 00:11

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:18:00 ID:Rc4C/LDU
ある北国の武士の回想

「天正十四年十月の田村清顕どのの死後、三春は未亡人と一門四人の合議制になった。
だが、その頃ウチの殿は奥方(愛姫)と仲が悪かったので、母の田村夫人は恨みに思って相馬と結び、
田村家は伊達派と相馬派に割れた。」

「天正十七年正月末日、殿が落馬して足の骨を折った。幸い、治療が成功して骨はうまくくっついたが、
あんまり痛がって出兵なんて出来そうもなく、片平助右衛門の寝返りが延期になった。」
(伊達成実著・『伊達日記』より)


流石イトコ殿は容赦がなかった




595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 13:25:35 ID:1r6n8bR3
>>584
さすが従弟殿そこに痺れる憧れるゥ
成実の著書は全体的に軽妙で読み物としても面白いよね

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まーくんの足の骨折って遺骨から立証されてるらしいね。
    しかし、本当にまーくんはネタキャラだな。成実は長寿だったから、
    そりゃ色々書く暇もあっただろうけどさ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3663.html
    こ…これの“しかし何を思ったのか助右衛門は~”のくだりってもしや…

  3. 人間七七四年 | URL | dMtXu4sA

    ↑証拠になる書状等が無いので何とも言えないけど、
    もしもそれが本当なら、まーくんが
    「くっつけた足が凄く痛むから動けない……」
    と出兵を延期したために、
    片平助右衛門が右往左往して母親が処刑されるという無惨な事態となり、
    更に四百年後にひどい奴扱いされる結果を招いたということになる。
    つまり、まーくんの悪い話?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    最初の片平の裏切り→翻意は天正16年夏あたりのこと、んで同年12月に再面接。そして翌年1月下旬にまーくん骨折。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    なので、この件ではまーくんは悪くない。
    完全に片平が悪いんじゃあないかな。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    連投失敬
    片平さんの流れとしては、寝返る!って言ったのを天正16年夏ごろに故なく考え直したんだけど、やっぱり伊達家に未練があって後悔しちゃって何とかツテを頼れないかなぁって思っていたところ、12月下旬に小十郎さんが再度裏切り工作。なのです。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    結局片平の日和見ね。
    大内定綱と片平親綱ってそっくりな兄弟だなw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    昌幸「まったくけしからん!日和見は破滅のもとであるぞ」

  9. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    しかし真相は歴史の彼方なのである・・・

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