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久留米藩首脳部は苦悩していた

2010年03月15日 00:04

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 00:47:33 ID:OHxoJG/R
いい話スレで治水の話が出てきているので悪い話でも治水の話を。

久留米藩首脳部は苦悩していた。筑後川の氾濫が増加し続けているのである。
理由は明白だった。
成富茂安が筑後川の肥前側に千栗堤防を築造した結果、
洪水は筑後側に押し付けられてしまったのである。

とりあえず、千栗堤防の対岸の堤防を改修してみたものの、これは強度不足であっさりと押し流されてしまった。
成富兵庫の築堤術、恐るべし。
ここに至って久留米藩は堤防を本格的に新設することを決定し、
上方仕込みの土木の専門家、丹羽頼母重次を投入することにした。
明らかに咬ませ犬のポジションに立たされた丹羽重次だが、
この人、のちに日光廟修築や高良大社の造営を手掛けたり、
筑後平野に灌漑を整備し生産性を爆発的に向上させたりする有能な人物である。

さて丹羽重次は現地視察に乗り出し対岸から千栗堤防を眺めた。
そしてすぐに悟った。
まともに堤防を作ったら必ず負ける。
築堤に力をかければかけるほど、資材を多くかければかけるほど、
洪水で堤防が崩れた時には堤防の建築資材の土石が筑後側の田畑に流れ込み被害は拡大する、と。

しかし、すでに治水を命じられてしまっている以上できませんでは済まない。
そこでひとつ奇策をひねり出した。
対岸の堤防が強いのなら、それに流れをぶつけて水流を弱めればいいじゃない。

早速対岸に向けて荒籠と称する突堤を築いていく。
突堤を築くことで水流の大半を対岸に向かわせ洪水の危険を低めるのである。
もちろん水流が向かってくることにより堤防を削られる佐賀藩は抗議する。
しかし佐賀藩がなんと言おうと筑後川東岸は久留米藩領なので気にしないことにした。

こうして見事に丹羽重次謹製安武堤防が完成し、佐賀、久留米藩は洪水の被害を折半することになりました。
この後、両藩が荒籠を乱造し洪水の被害を拡大し続けたのは言うまでもない。

筑後川治水問題の解決は明治以降まで待たなければならない。




260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 01:00:48 ID:3uTD52Uy
縦割り行政の弊害ワロス
いや現地の人には笑い事じゃないだろうが

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 01:10:30 ID:og9vOrn3
お互いにやり続けると損をするのは分かっているのに
自分だけ止めると被害を全部引き受けるはめになるから止められないって
藩同士でチキンレースをずっとやってたんだな

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 01:11:37 ID:gIaXg5e+
高度の地方分権とはすなわちこういう事でもあるのである。

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 01:17:33 ID:Wgos2T4U
三大暴れ川だからなあ・・・
しかし、筑後川の筑後側・・・紛らわしい・・・

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 01:27:17 ID:6ma/p74f
丹羽姓で土木のスペシャリストというと某五郎左を連想してしまう

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 01:30:09 ID:OHxoJG/R
筑後川自体が治水をするのは極めて難しい立地だからね。
最上流は天領(日田)、東岸だと上流に久留米藩、下流に柳川藩と三池藩、
西岸だと上流に福岡藩、中流に対馬藩の飛び地、下流に佐賀藩。
さらに、川が注ぐ海は有明海。
増水を海に逃がそうにも河口付近が泥地なもんで水が淀んでなかなか流れない。
一体どうしろと。

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 02:10:23 ID:y7TxKgBd
もう成富兵庫がぜんぶやっちゃえばいいのに、ってのは駄目なのよね
面倒だなあ

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 11:00:32 ID:/PdTxXMU
>>265乙亀
仮に水はけをよくしたくても河口の干潟を浚渫しちゃうと、
有明海の漁民に悪影響甚大でしょうしねえ。。

(ははあ、現代の島原じゃもっと程度の低いことやってらあwって笑い話にするのも気の毒なんだがね)
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

     名古屋辺で言う、「小田井人足」で誤魔化しゃいいのに。余分に労力掛け
    て、骨折り損するよりまだ好いと思う。
     んで、思い出したけど、薩摩藩は木曽川の治水事業だけでなく、駿府の堤
    防修築まで押しつけられてるんだよね。「薩摩土手」だったかな?おまけに
    その堤防、明治以後あっさり崩されて通りになってるし。
     武田は富士川下流、今の東名高速富士川橋付近に雁堤と称する堤防を築き、
    越流水を一旦遊水池に誘導する工夫をしてる。結果論だけど、みんな、ヨハ
    ニス・デ・レーケに弟子入りしなさい。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >>304
    丹羽頼母は尾張丹羽郡(犬山市の辺り)の生まれらしいから米五郎左(春日井市の辺り出身、春日井市は犬山市の南方ね)とは直接の親族関係はないにせよ、何らかの縁故があるかもしれない。調べる気力も体力も能力もないけど。

    どういう経緯で温泉の方の有馬さんに仕えたかは不明。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    小田井人足かー、懐かしい言葉聞いたな。
    雨降ったら庄内公園に行っちゃいけないって言われたっけ。
    まじで水浸しになるもんな、あそこ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3殿
     あと、高辻の交差点、ちょっと降ると水浸しで、って高辻電車運輸事務所があった時代だから
    1960年代、「低辻だがネ…」と言われていたけど、あそこ本来は「鷹辻」だったらしい。
    今は高辻荘の基礎部分を遊水池代わりにつかっていて、水浸しはないみたいだけど…

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