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中馬大蔵、島津義弘の兵糧を奪う・悪い話

2008年10月27日 00:04

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 19:56:58 ID:fmb3/Po7

関ヶ原の合戦で西軍が負け、西軍についていた島津義弘軍は
家康軍の前を突破するという前代未聞の退却劇で何とか大将の義弘は助かった物の、
他の名だたる武将はあらかた討ち死にしてしまい、しかも折からの雨と日没で迷子になる武将も続出し、
ついに1000人ほどいた軍勢が50人になってしまった。

もっとまずかったのは、みんながろくに兵糧も持っていなかったこと。
気が付けば朝からほとんど何も食べていなかった。
そして、空腹と疲労のためで多くの兵が身動きできなくなってしまった。
・・・結局、やむなく最後に残っていた一頭の軍馬を斬り殺して食べることになった。

やがて、焼き上がった肉のかたまりを捧げ持った兵が義弘の前に出て
「殿様、これでもお召し上がり下さい」
と、言おうとした そ の 瞬 間
義弘の目の前からあったはずの肉が消えてしまった。
やはり肉は疲労のための幻覚だったのか?いやいくら老眼でも見間違いのはずはない。
気が付くと一人の小汚い兵が義弘が食うはずだった肉をむさぼり食っている。
他の武将がその兵を叱りつけると、その兵は
「なにぬかしとんじゃおんどりゃー
 殿様を担ぐ雑兵が倒れたら、助かるはずの殿様も助からんのじゃわれー
 雑兵のためには飲まず食わずで我慢するのがほんまの殿様にきまっとるじゃろうが!!!11」
・・・と逆切れした。あまりのことに義弘は呆気にとられて苦笑するだけだったという・・・。

この雑兵の名前を 中 馬 大 蔵 という。
帰国後、この暴り・・・いや、豪椀を買われて国境の出水に領地を与えられる。



131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 20:03:12 ID:88BmKRf6
島津奔るのあの人かw

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 20:13:39 ID:tpnLfTgz
子供向けの島津何とか(たぶん義弘)の伝記で、
関ヶ原編の主人公的扱いをされていたのが中馬大蔵であったことは、
島津奔るで知った。

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 21:25:26 ID:BYrcVKmA
親父は人間できてるのになぁ

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 21:54:15 ID:TWQ3AQ/1
>>130
いい逸話だ
雑兵の主張はけだし正論だろう

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 22:00:20 ID:nPAXcyCA
>>130
義弘は輿にのってたそうだから正論ではあるな。

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