さて、最近すっかりアッーのイメージが付いてしまった大内義隆の最期にまつわる伝説。
ご存じの通り、陶に反逆された揚句重臣一同に見捨てられ、北長門まで落ちのびてきた義隆一行。
海路石見か九州へ逃れようとしたが、海が荒れて進めない。
仕方が無いので陸路を15kmぐらい引き返し、三方が山、一方が川というちょっとした要塞みたいな太寧寺に籠ることにした。
色々あっていい加減疲れた義隆殿、水を所望して何気なく参道脇にある井戸を覗き込む。
するとその水面には、あるべきものが映っていなかった。
「……首がない」
これで駄目押しされた義隆殿、見事腹を斬ったそうな。
後の参道改修の折にこの井戸は潰されたが、今は境内の隅の方に、この時兜を掛けたという兜掛けの岩(ママ)と共に
姿見の池として再現されている。
もし行かれる機会があれば、湯治のついでにでも覗き込んでみては如何だろうか。
ある大名の最期にまつわる、縁起の悪い話。
ちなみにこの寺、元関東管領・上杉憲実の墓もある。誰得。
101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 23:02:43 ID:ees48gsC
>>100
ああ、悲劇の忠臣上杉憲実。この人の生きざまは泣ける。
102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 23:23:26 ID:2dZo3b8J
風呂に入っててふと不安になったのだが。
>>100の話は地元ではそれなりに有名な話なんだが、どこをググっても出てこない。
まぁだから書いたんだけど、まさかこの話をカキコしたら夜中に義隆公が尻を借りに来る呪いとかないよな。うん。……ないよな?
>>101
簡単に調べてみたが、悲劇の人だね。誰得なんて言ってすまんかった。
103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 23:49:18 ID:c8Ob2R1R
>>100
なぜ憲実の墓が長門に?
旧臣の誰かが毛利に仕えたとかかな。
105 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/13(火) 00:12:48 ID:9WulXGQR
>>103
最後は諸国遍歴して、最後に大内氏を頼ったそう。
109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 03:29:07 ID:4Z1zMjly
>>102
>>100の逸話は確か太閤立志伝でイベントになってた記憶があるな
111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 07:01:35 ID:Z9bYVrxY
>>109
髪の乱れを気にして池の水面を覗きこんだら
姿が映っていなかったというやつか
いかにもありそうな話だと思ったのに元逸話はもっとグロかったんだなあ
コメント
人間七七四年 | URL | -
憲実めちゃくちゃ腹黒いぞ
( 2010年04月14日 07:00 )
人間七七四年 | URL | -
ネット上では見ないけど大寧寺行くと
きちんと解説看板付きで残ってるね
( 2010年04月14日 16:15 )
人間七七四年 | URL | 6Q0aW8YQ
オカルト話だけど、怖いというより「ありそう」という気持ちになる不思議な逸話だな
( 2010年04月15日 01:38 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
腹黒いのも一面だろう。基本的には悪い人ではない
( 2015年02月11日 22:31 )
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