251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 22:06:35 ID:JISZwdd8
武田信玄が未だ、幼名の勝千代と呼ばれていた頃のこと。
ある時武田信虎は、人々を伴って据物を行ったことがあった。据物とは死罪となった罪人の死体を使って
刀の試し斬りをすることである。
最初、信虎自身が斬り、次に次男の次郎(後の典厩信繁)に仰せ付けた。
次郎は畏まり、手際よく胴を切り落とした。
その次に信虎は、勝千代に据物をすることを命じた。
勝千代はそれをどうにかしてに断わろうとしていたが、父であり主君たる信虎の命であり、已むを得ず、
刀をとって死骸に立ち寄った。
この時勝千代の顔色は青く変わり、手も震えている様子で、案の定斬り損じてしまった。
これに信虎は大いに怒り、次郎の手を引いて奥に入っていってしまった。
ところが勝千代は、信虎がいなくなった頃には顔色も直り、打ち笑って愉快気な様子であった。
これを見た周りの普通の者達は、勝千代のことを嘲り笑ったが、荻原昌勝だけは
「この人は大丈夫の器であり、将来智勇の大将となられるだろう。」
と感じ、 その事を甘利虎泰、板垣信方にも語ったのだと言う。
裏読みすると勝千代はわざと怯えた風を見せ信虎を怒らせ、その場から去らせた。
荻原はそれを見てとった、と言うことだろうか。
幼き日の武田信玄、据物を斬り損なう、と言うお話。
252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 22:12:06 ID:JISZwdd8
余談ですが山梨県立博物館で、シンボル展・『実在した山本菅助』というのが
開催されるようです。
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol_018.htm
東京国立博物館の細川家の至宝展もいいですが、お近くの方はこちらもどうぞー。
253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 22:21:01 ID:wainY35B
やはり勘助は実在しなかったのですね…
254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:20:34 ID:lODuBCLS
架空の人物の元となったであろう人物が存在したからって、架空の人物が存在した事にはならないからね。
人魚の元となったジュゴンが存在したからって、人魚が存在した事にはならない。
255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:26:06 ID:JISZwdd8
この記事によると
幻の軍師は実在した…有形文化財の信玄書状に「山本管助」、浮かび上がる人物像とは
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100417/acd1004171201002-n1.htm
> 県教委によると「書状は川中島合戦の作戦を先陣に伝えるためで、
> 『詳しい作戦はこの書状を届けた山本管助に聞け』と記されている」と説明する。
とあるので、「山本菅助」が信玄の作戦参謀スタッフの一人であったことは間違いないと思われる。
256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:38:53 ID:lODuBCLS
「山本勘助」の元となった「山本菅助」という人が存在したんですね。
257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:43:06 ID:Qo5l2OYA
同じ読みの場合、違う漢字で記述されることは別にこの時代珍しくもないし、
勘助と菅助は同一人物と考えて何の問題もないと思うが。
むしろ区別する方が不自然。
258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:47:25 ID:Pyadni4Z
幸村はいないけど信繁はいるよ、ってのとはまた違うか。
「山本勘助」という人物はいたけれどただの足軽大将だった、という説もあったな。
>>251
若き日の信玄に関しては暗君っぽい逸話もあるよね。
てかそんな幼いうちから父を騙すなんて末恐ろしい…そうでもなきゃ戦国大名にはなれんか。
259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:53:32 ID:lODuBCLS
「山本勘助」というのは、武田の作戦のほとんどを立案した名軍師を指すんじゃないの?
「山本菅助」が信玄の作戦参謀スタッフの一人っていうのは、
それなりに優秀なやつを元に、架空のすごい人物を創造したって事じゃないかな。
武田の作戦のほとんどを立案した名軍師なんていないが、
「山本菅助」が実在するから「山本勘助」が実在したって言うことはないと思うけど。
260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:54:23 ID:lODuBCLS
まぁ「名軍師山本勘助」はいないけど、「山本勘助」という人物は実在したっていうならそうかもしれないけど。
261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 00:22:13 ID:Z5AkxhDT
>>255の記事じゃないけど
群馬県で見つかった文書から菅助は東信濃から上野方面で活躍したらしいというのがあった。
ということは「真田幸隆は山本勘助の仲介で武田に仕官した。」というのも根も葉もない話ではないのかな。
262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 01:31:51 ID:/7nQGK1m
信幸・信繁の親父である昌幸は三男なのに「源五郎」だし、
叔父にあたる真田信尹も幼名は「源次郎」だし、
太郎次郎とちゃんとわかってるのは甲斐武田さんの所だけでしょ。
武田信玄が未だ、幼名の勝千代と呼ばれていた頃のこと。
ある時武田信虎は、人々を伴って据物を行ったことがあった。据物とは死罪となった罪人の死体を使って
刀の試し斬りをすることである。
最初、信虎自身が斬り、次に次男の次郎(後の典厩信繁)に仰せ付けた。
次郎は畏まり、手際よく胴を切り落とした。
その次に信虎は、勝千代に据物をすることを命じた。
勝千代はそれをどうにかしてに断わろうとしていたが、父であり主君たる信虎の命であり、已むを得ず、
刀をとって死骸に立ち寄った。
この時勝千代の顔色は青く変わり、手も震えている様子で、案の定斬り損じてしまった。
これに信虎は大いに怒り、次郎の手を引いて奥に入っていってしまった。
ところが勝千代は、信虎がいなくなった頃には顔色も直り、打ち笑って愉快気な様子であった。
これを見た周りの普通の者達は、勝千代のことを嘲り笑ったが、荻原昌勝だけは
「この人は大丈夫の器であり、将来智勇の大将となられるだろう。」
と感じ、 その事を甘利虎泰、板垣信方にも語ったのだと言う。
裏読みすると勝千代はわざと怯えた風を見せ信虎を怒らせ、その場から去らせた。
荻原はそれを見てとった、と言うことだろうか。
幼き日の武田信玄、据物を斬り損なう、と言うお話。
252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 22:12:06 ID:JISZwdd8
余談ですが山梨県立博物館で、シンボル展・『実在した山本菅助』というのが
開催されるようです。
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol_018.htm
東京国立博物館の細川家の至宝展もいいですが、お近くの方はこちらもどうぞー。
253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 22:21:01 ID:wainY35B
やはり勘助は実在しなかったのですね…
254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:20:34 ID:lODuBCLS
架空の人物の元となったであろう人物が存在したからって、架空の人物が存在した事にはならないからね。
人魚の元となったジュゴンが存在したからって、人魚が存在した事にはならない。
255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:26:06 ID:JISZwdd8
この記事によると
幻の軍師は実在した…有形文化財の信玄書状に「山本管助」、浮かび上がる人物像とは
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100417/acd1004171201002-n1.htm
> 県教委によると「書状は川中島合戦の作戦を先陣に伝えるためで、
> 『詳しい作戦はこの書状を届けた山本管助に聞け』と記されている」と説明する。
とあるので、「山本菅助」が信玄の作戦参謀スタッフの一人であったことは間違いないと思われる。
256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:38:53 ID:lODuBCLS
「山本勘助」の元となった「山本菅助」という人が存在したんですね。
257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:43:06 ID:Qo5l2OYA
同じ読みの場合、違う漢字で記述されることは別にこの時代珍しくもないし、
勘助と菅助は同一人物と考えて何の問題もないと思うが。
むしろ区別する方が不自然。
258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:47:25 ID:Pyadni4Z
幸村はいないけど信繁はいるよ、ってのとはまた違うか。
「山本勘助」という人物はいたけれどただの足軽大将だった、という説もあったな。
>>251
若き日の信玄に関しては暗君っぽい逸話もあるよね。
てかそんな幼いうちから父を騙すなんて末恐ろしい…そうでもなきゃ戦国大名にはなれんか。
259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:53:32 ID:lODuBCLS
「山本勘助」というのは、武田の作戦のほとんどを立案した名軍師を指すんじゃないの?
「山本菅助」が信玄の作戦参謀スタッフの一人っていうのは、
それなりに優秀なやつを元に、架空のすごい人物を創造したって事じゃないかな。
武田の作戦のほとんどを立案した名軍師なんていないが、
「山本菅助」が実在するから「山本勘助」が実在したって言うことはないと思うけど。
260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/18(日) 23:54:23 ID:lODuBCLS
まぁ「名軍師山本勘助」はいないけど、「山本勘助」という人物は実在したっていうならそうかもしれないけど。
261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 00:22:13 ID:Z5AkxhDT
>>255の記事じゃないけど
群馬県で見つかった文書から菅助は東信濃から上野方面で活躍したらしいというのがあった。
ということは「真田幸隆は山本勘助の仲介で武田に仕官した。」というのも根も葉もない話ではないのかな。
262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 01:31:51 ID:/7nQGK1m
信幸・信繁の親父である昌幸は三男なのに「源五郎」だし、
叔父にあたる真田信尹も幼名は「源次郎」だし、
太郎次郎とちゃんとわかってるのは甲斐武田さんの所だけでしょ。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
信繁しかり半兵衛しかりブームの龍馬しかり、実像に比べスーパーマン化されてる人物は沢山いる。
「坂本龍馬」を元に司馬さんが「坂本竜馬」を作ったけど、今ではほぼ司馬「竜馬」が「坂本龍馬」と認識されている。ってのと一緒じゃね?
だったら「山本菅助」が信玄の作戦参謀の一人として実在してたなら、一般的に認識されてる名軍師「山本勘助」は実在でいいと思う。
でも実像はそれほどのもんじゃない。よくある話。
( 2010年04月20日 09:18 )
人間七七四年 | URL | -
これ、産経の記事読んでも作戦参謀じゃなくて、伝令将校としか思えんのだけど。
で、伝令将校説はそれほど目新しい説でもないような。
( 2010年04月20日 21:58 )
人間七七四年 | URL | LmMdU2V.
厩戸上宮王「で、聖徳太子って誰?」
( 2010年04月21日 00:55 [Edit] )
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