289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/21(水) 18:10:20 ID:zMRw/f9d
来週三島に出張になったんだけど、その辺りの
悪い話しってある?
290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/21(水) 21:00:51 ID:TgTjSPyD
丹那トンネルしか思い浮かばない
292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/21(水) 22:09:38 ID:n1ikz504
>>289
悪い話か微妙だが
天正18年(1590)3月28日、小田原北条氏を攻め潰すべく、豊臣秀吉の大軍が伊豆三島に到着した。
翌29日、秀吉は甥・秀次を大将として、中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊・一柳直末ら諸将に
近隣の要害・山中城への攻撃を命じた。
諸将が動き出したその時、山中城の東の山道を、二十名ほどの騎馬隊が駆けて行くのが見えた。
「あれを見よ、山中城からの逃亡兵と見える。城の士気は低いぞ、一気に攻め落とせ!!」
はしゃぐ関白秀吉の号令のもと、諸将は我先にと山城を駆け上ったが、実は騎馬隊は小田原からの偵察隊。
秀吉の着陣を確認した後、帰るところであり、山中城では覚悟を決めた城将・松田右衛門大夫康長(憲秀従弟)、
副将・間宮豊前守康俊らが、敵が来るのを今や遅しと待ち構えていた。
中村隊の渡辺勘兵衛こそ雄々しく一番乗りを果たしたが、これは勘兵衛だから出来た武功であり、
次に一氏の小姓・中村才次郎が、「かかる時には身軽が一番」と、具足もつけずに城壁の上にまたがったが、
城兵から長刀で横薙ぎにされ、上半身は城内に、下半身は堀底へと落ちていった。
城攻めは泥沼化していったが、秀吉の命がある以上、無理攻めしてでも短期決戦で落とさねばならない。
業を煮やした一柳直末は、みずから先頭に立って攻め、ついに城内に攻め入ったが、次の瞬間。
間宮康俊率いる鉄砲隊の掃射を受け、蜂の巣となって絶命した。
山中落城後、秀吉は「直末ほどの者を亡くし、関東を得る喜びも無くなった。」と嘆いたが、後の祭り。
直末の知人の丹後一如院住職は、その訃報を聞いて領主の細川幽斎に和歌を送った。
「 あはれなり ひとり柳の 目もはるか もえ出しにける 野辺の煙りは 」
幽斎も、これに返歌した。
「 糸もなき 具足をかけて 鉄砲の 玉にも消ぬる 一つ柳か 」
294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 01:18:46 ID:6h4oYVX7
山中城は無理に力攻めしたせいで攻め手にも多数の死傷者が出たらしいねえ
295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 02:31:06 ID:JB74hGga
強引に攻めて速攻で落として皆殺し。播磨攻めの時と同様の見せしめだな。
296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 12:32:51 ID:dJ6cmGhV
まぁ、力攻めはそういうモンだしな
298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 18:32:37 ID:WaGIrNvH
>>292
ありがとう。
三島に着いた際は、強たちを偲びながらうな重を
掻っ込もうと思う。
現地で良い話し仕入れられるといいな。
299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 08:06:48 ID:AwxoI8hA
>「あれを見よ、山中城からの逃亡兵と見える。城の士気は低いぞ、一気に攻め落とせ!!」
城攻め上手の秀吉にしちゃ迂闊な早合点だったな
圧倒的な戦力優位に立ってたせいでさすがに油断が生じてたのかね?
300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 08:39:10 ID:FR5ED3Fj
味方の志気を高める為の方便じゃないかな
301 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/23(金) 09:20:33 ID:q2Y3LaOy
雑兵ならともかく、騎乗身分がまとまって出ていったから油断と合間って早トチりしたのかもな
来週三島に出張になったんだけど、その辺りの
悪い話しってある?
290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/21(水) 21:00:51 ID:TgTjSPyD
丹那トンネルしか思い浮かばない
292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/21(水) 22:09:38 ID:n1ikz504
>>289
悪い話か微妙だが
天正18年(1590)3月28日、小田原北条氏を攻め潰すべく、豊臣秀吉の大軍が伊豆三島に到着した。
翌29日、秀吉は甥・秀次を大将として、中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊・一柳直末ら諸将に
近隣の要害・山中城への攻撃を命じた。
諸将が動き出したその時、山中城の東の山道を、二十名ほどの騎馬隊が駆けて行くのが見えた。
「あれを見よ、山中城からの逃亡兵と見える。城の士気は低いぞ、一気に攻め落とせ!!」
はしゃぐ関白秀吉の号令のもと、諸将は我先にと山城を駆け上ったが、実は騎馬隊は小田原からの偵察隊。
秀吉の着陣を確認した後、帰るところであり、山中城では覚悟を決めた城将・松田右衛門大夫康長(憲秀従弟)、
副将・間宮豊前守康俊らが、敵が来るのを今や遅しと待ち構えていた。
中村隊の渡辺勘兵衛こそ雄々しく一番乗りを果たしたが、これは勘兵衛だから出来た武功であり、
次に一氏の小姓・中村才次郎が、「かかる時には身軽が一番」と、具足もつけずに城壁の上にまたがったが、
城兵から長刀で横薙ぎにされ、上半身は城内に、下半身は堀底へと落ちていった。
城攻めは泥沼化していったが、秀吉の命がある以上、無理攻めしてでも短期決戦で落とさねばならない。
業を煮やした一柳直末は、みずから先頭に立って攻め、ついに城内に攻め入ったが、次の瞬間。
間宮康俊率いる鉄砲隊の掃射を受け、蜂の巣となって絶命した。
山中落城後、秀吉は「直末ほどの者を亡くし、関東を得る喜びも無くなった。」と嘆いたが、後の祭り。
直末の知人の丹後一如院住職は、その訃報を聞いて領主の細川幽斎に和歌を送った。
「 あはれなり ひとり柳の 目もはるか もえ出しにける 野辺の煙りは 」
幽斎も、これに返歌した。
「 糸もなき 具足をかけて 鉄砲の 玉にも消ぬる 一つ柳か 」
294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 01:18:46 ID:6h4oYVX7
山中城は無理に力攻めしたせいで攻め手にも多数の死傷者が出たらしいねえ
295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 02:31:06 ID:JB74hGga
強引に攻めて速攻で落として皆殺し。播磨攻めの時と同様の見せしめだな。
296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 12:32:51 ID:dJ6cmGhV
まぁ、力攻めはそういうモンだしな
298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/22(木) 18:32:37 ID:WaGIrNvH
>>292
ありがとう。
三島に着いた際は、強たちを偲びながらうな重を
掻っ込もうと思う。
現地で良い話し仕入れられるといいな。
299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 08:06:48 ID:AwxoI8hA
>「あれを見よ、山中城からの逃亡兵と見える。城の士気は低いぞ、一気に攻め落とせ!!」
城攻め上手の秀吉にしちゃ迂闊な早合点だったな
圧倒的な戦力優位に立ってたせいでさすがに油断が生じてたのかね?
300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/23(金) 08:39:10 ID:FR5ED3Fj
味方の志気を高める為の方便じゃないかな
301 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/23(金) 09:20:33 ID:q2Y3LaOy
雑兵ならともかく、騎乗身分がまとまって出ていったから油断と合間って早トチりしたのかもな
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | LmMdU2V.
幽斎さんの返歌は『古今集』の僧正遍昭作
「浅緑 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か」
のパロディですな。
こういうことを追悼の場でもしれっと出来ちゃうあたり、流石幽斎クオリティw
( 2010年04月23日 01:15 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
流石のラスボスも、美濃以来の古参の将である直末の死は堪えたらしく、三日間ほど口をきかなかったそうな。
尾藤がラスボスの逆鱗に触れて殺されたのって「直末は勇戦力闘して死んだのに、お前は戦終わってからノコノコ出てきやがって」という感情もあったんじゃないかと思ったり。
( 2010年04月23日 18:30 )
人間七七四年 | URL | -
パロディっつーか本歌取りじゃね
両方、似たようなもんかもしれんけど
( 2010年04月23日 18:48 )
コメントの投稿