162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 12:28:44 ID:g/Al61t/
中馬大蔵の逸話は鹿児島では有名だよ
上記の話の続きには最後に大事な話がある
以下コピペ
江戸時代はじめのことである。鹿児島城下の二才(にせ)たちが25里(約100キロ)の道を歩いて、
出水の中馬大蔵(ちゅうまんおおくら)(1564-1635年、大蔵允〔おおくらのじょう〕重方(しげかた))を訪ねた。
慶長5(1600)年の関ケ原合戦からすでに2、30年たっていた。中馬もすでに還暦を越えていただろうが、
合戦従軍者のなかの数少ない生き残りだった。
二才たちは城下の咄合中(はなしあいじゅう)(のちの郷中教育の前身)に属し、関ケ原の合戦談を
中馬からじかに聞くために、はるばるやってきたのだ。
応対した大蔵は二才たちが麻上下の盛装をしているのを見て、自分も盛装し、威儀を正して二才たちと対座した。
二才たちが「後学のために、ぜひに関ケ原での武勇談をお伺いしたい」と頼んだ。
二才たちは中馬の口から出てくる言葉を一言も聞き漏らすまいと真剣なまなざしを向けている。
ところが、話を切り出そうとした中馬だったが、意外な成り行きになった。
「(中馬は)麻上下で床を背にして坐(すわ)り、『関ケ原と申すは…』と言い出したものの、
みるみるうちに感涙があふれ出て、それから先、一言も語ることができなかった。
二才衆も同様で、しばらく呆然(ぼうぜん)とするしかなかった。
二才たちは帰路の道すがら、関ケ原の話はこれまで何度も承ったが、
そのどれよりも優れていたと語り合い、言葉にできないほどの難儀を思いやったという」(「薩藩士風沿革」)
中馬の朴訥(ぼくとつ)で涙もろい性格が察せられる逸話である。
中馬は義弘のお気に入りの家来だったらしく、
「中馬大蔵殿は惟新(いしん)公(義弘)別して御秘蔵の人」といわれている(「薩藩旧伝集」)。
作家の桐野作人氏が地元紙に逸話を寄稿しています。ついでに中馬重方でwikipediaにも載ってる
ttp://373news.com/_bunka/jikokushi/37.php
163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 12:56:40 ID:XfmiMr3M
さすが島津奔るの主人公なだけあるな
164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 14:38:57 ID:mILF7veu
ただそれはどっちかつうといい話だな
165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:34:00 ID:TlpN2Qu+
このくだりを読むたびに、釣られてないてしまう
166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:37:37 ID:QIy/caP/
>二才たちは帰路の道すがら、関ケ原の話はこれまで何度も承ったが、
>そのどれよりも優れていたと語り合い、言葉にできないほどの難儀を思いやったという
二才達もできた人物だな。
普通凡人ならあの爺さん泣いてやんのwとか馬鹿にしそうなシチュエーションだけど
今までに聞いたどの関が原の話よりも優れていたと感じれるのは普通に凄いな。
167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:50:56 ID:vb0yKRQc
>>164
確かに。
しかし、義弘の飯強奪とか、他人様の鎧強奪の話が伝わっているところを見ると
年を取る前には涙腺もゆるんでなくて
いろんな話を二才連中にしゃべってたんだろうな、と推測。
168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:51:08 ID:uH1rNRa1
幕末薩長は好きじゃないけど、この手の話を訊くと
さすがに維新回天の主役を担った連中の先祖だけはあるなと賞賛したくなる。
中馬大蔵の逸話は鹿児島では有名だよ
上記の話の続きには最後に大事な話がある
以下コピペ
江戸時代はじめのことである。鹿児島城下の二才(にせ)たちが25里(約100キロ)の道を歩いて、
出水の中馬大蔵(ちゅうまんおおくら)(1564-1635年、大蔵允〔おおくらのじょう〕重方(しげかた))を訪ねた。
慶長5(1600)年の関ケ原合戦からすでに2、30年たっていた。中馬もすでに還暦を越えていただろうが、
合戦従軍者のなかの数少ない生き残りだった。
二才たちは城下の咄合中(はなしあいじゅう)(のちの郷中教育の前身)に属し、関ケ原の合戦談を
中馬からじかに聞くために、はるばるやってきたのだ。
応対した大蔵は二才たちが麻上下の盛装をしているのを見て、自分も盛装し、威儀を正して二才たちと対座した。
二才たちが「後学のために、ぜひに関ケ原での武勇談をお伺いしたい」と頼んだ。
二才たちは中馬の口から出てくる言葉を一言も聞き漏らすまいと真剣なまなざしを向けている。
ところが、話を切り出そうとした中馬だったが、意外な成り行きになった。
「(中馬は)麻上下で床を背にして坐(すわ)り、『関ケ原と申すは…』と言い出したものの、
みるみるうちに感涙があふれ出て、それから先、一言も語ることができなかった。
二才衆も同様で、しばらく呆然(ぼうぜん)とするしかなかった。
二才たちは帰路の道すがら、関ケ原の話はこれまで何度も承ったが、
そのどれよりも優れていたと語り合い、言葉にできないほどの難儀を思いやったという」(「薩藩士風沿革」)
中馬の朴訥(ぼくとつ)で涙もろい性格が察せられる逸話である。
中馬は義弘のお気に入りの家来だったらしく、
「中馬大蔵殿は惟新(いしん)公(義弘)別して御秘蔵の人」といわれている(「薩藩旧伝集」)。
作家の桐野作人氏が地元紙に逸話を寄稿しています。ついでに中馬重方でwikipediaにも載ってる
ttp://373news.com/_bunka/jikokushi/37.php
163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 12:56:40 ID:XfmiMr3M
さすが島津奔るの主人公なだけあるな
164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 14:38:57 ID:mILF7veu
ただそれはどっちかつうといい話だな
165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:34:00 ID:TlpN2Qu+
このくだりを読むたびに、釣られてないてしまう
166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:37:37 ID:QIy/caP/
>二才たちは帰路の道すがら、関ケ原の話はこれまで何度も承ったが、
>そのどれよりも優れていたと語り合い、言葉にできないほどの難儀を思いやったという
二才達もできた人物だな。
普通凡人ならあの爺さん泣いてやんのwとか馬鹿にしそうなシチュエーションだけど
今までに聞いたどの関が原の話よりも優れていたと感じれるのは普通に凄いな。
167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:50:56 ID:vb0yKRQc
>>164
確かに。
しかし、義弘の飯強奪とか、他人様の鎧強奪の話が伝わっているところを見ると
年を取る前には涙腺もゆるんでなくて
いろんな話を二才連中にしゃべってたんだろうな、と推測。
168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:51:08 ID:uH1rNRa1
幕末薩長は好きじゃないけど、この手の話を訊くと
さすがに維新回天の主役を担った連中の先祖だけはあるなと賞賛したくなる。
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