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法華寺に参拝に行った豊臣秀長が

2010年04月30日 00:03

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 15:24:29 ID:b4R9vRSD
あるとき豊臣秀長は法華寺に参拝に行った
そこで出合ったのが興俊尼である
余程好みだったのか、その場で城にお持ち帰りしてしまい、興俊尼が寺に帰ってきたのは翌日の事だった
破戒僧となってしまった興俊尼は姉を頼って寺を出、菊田某の家に身を寄せた
一年後、そこには玉のような赤子の姿が! そう、一夜の過ちが実を結んだのだ
これを知った秀長は子供を養育することにした
その娘こそ後の毛利秀元正室、きくである

意外に手の早かった秀長さんの話




483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 16:03:47 ID:6evmsvw9
>>481
それは悪い話の部類かな?
秀長さんがもっと子供をつくっておけば、状況はまた変わっていたのかもしれない

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 16:35:20 ID:b4R9vRSD
まぁ、尼僧に戒律破らせた挙句子供の話聞くまでは放っておいた悪い話という事で

どうでもいいけど秀長の家族って資料が殆ど無いんだよな
秀保、(藤堂)高吉、智勝院(切らず粥http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-578.html
の3人は確実だけど、妻と実子については諸説入り混じっていてさっぱり解らない
特に女性関係は謎が多く、智雲院、興俊尼、多聞院日記の「濃州女中」、これら総て同一人物とする説、
総て別人とする説などもう何がなんやら
更に大徳寺の秀長墓塔の隣にある五輪塔には養春院なる女性の名が刻まれている。どうみても縁者です。本当にry

上の話ではきくと大善院(毛利秀元正室)は同一人物になってるけど、これも別人説があったりするしなぁ

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 19:07:27 ID:I85FOrKb
>>483
どうだろ、殺生関白の例を考えるとその対象が広がっただけな気もする
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