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義理堅かった為信

2010年05月05日 00:04

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 10:49:17 ID:u/qHcrh6
 九戸政實(政実)といえば、南部本家との争いに豊臣本軍を呼び込まれ、開城して和睦の筈が一族、従兵皆殺しにされたと
伝えられる。
しかし、4月30日の青森県の地元新聞「東奥日報」夕刊で、県観光連盟専務理事の九戸さんが書いていたコラムによると・・・

 津軽為信は九戸とは親戚筋で気脈を通じており、心ならずも開門に手を貸して寝覚めが悪かった。
そこで3歳の(九戸家の)子供を家来の懐に隠して秋田県境を落ち延びさせ、匿った。
過去帳を3代は女名前にして世をはばかり、弘前藩3代の津軽信義公の代に九戸吉左衛門政知を召し抱えて再興した。
 この経緯は、九戸さんの母が祖母から聞いてノートに書き留め、また津軽家11代順承(ゆきつぐ)公に
時計師として仕えた九戸籐吉が明治5年に表している。

 為信は、津軽統一戦争の過程では随分汚い手も使い、時々の天下人には上手く立ち回っているが、
必要がない非道はしていない感じだし、
関ヶ原後にはかなりのリスクをとって、世話になった石田三成の子女を津軽に置いている。

 そういう性格と対南部宗家での付き合いも考えると、あってもおかしくはないかなと。

 秀吉存命中に南部家にバレて密告されたらやばかったことは確かで、義理堅かった為信、
血筋を残せた九戸家両方にいい話。




730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/04(火) 13:35:33 ID:YUNq3Im1
>>728
高橋克彦の「天を衝く」を、もう一度読みたくなった。

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 12:45:19 ID:bKJYMW+k
>>730
(`・ω・´)人(`・ω・´)
好き嫌いの分かれる御仁だが、色んな意味で
非凡ではあったんだろうと思う
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    為信さんは九戸一族だけでなく、
    それに一味して滅ぼされた円子氏や櫛引氏の子も受け入れてる。
    配下にもあちこちの家を追い出された人物がいるので、
    意外と人情味は高いと思う。
    ただし北畠や浅利にしたことは忘れてね!
    あ、でも伊勢北畠家の子を受け入れてるか。

    まぁ、自身も久慈家を追い出された過去があるので、
    似たような境遇の武将に思うところがあったんだろうけど。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    井沢元彦の本にも髭殿紹介されてたな。
    秀吉に所領安堵してもらった恩を忘れずに、ずっと神社の奥に開かずの御神体として秀吉の木像を隠し持ってたって。(明治に判明)
    髭殿はこっそり義理堅いのかねぇ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    深い義侠心を持つ義将であり残忍狡猾な謀将でもあったんだろう津軽さん
    なんともパラノイア的だが、東北の武将は多かれ少なかれそういう面はあると思うw

  4. 人間七七四年 | URL | Aszvn8R.

    不良がたまに良い事をすればいい奴に見える、の典型だからな髭殿はw

  5. 人間七七四年 | URL | -

    髭殿の二面性が面白いなぁ。伝承の過程で色々付け加わったのもあるんだろうけど、それにしたってw
    石田・九戸の話は聞いたことあるけど、開かずの御神体は初めて聞いたよ。面白かったw

  6. hage | URL | -

    やることはやるけど最低限の義侠心はあるところは深みがある人物だな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    いずれ南部を攻略する時に南部の血筋の者を抱えておくと色々都合が良いと考えてたのかも

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