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松代物語

2010年05月06日 00:00

561 名前:松代物語 1/2[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 19:15:22 ID:g2vkl9Xs
慶長5年(1600)、信州川中島は海津の土豪・春日一族の人々は、約20年ぶりの平穏を味わっていた。
天正10年(1582)はひどかった。“鬼”がやって来て荒し回り、一族の長である周防守昌元の子供を人質にして逃げ、
去り際に殺してしまった。昌元自身も後から来た上杉氏に謀反を疑われ、殺された。だが“鬼”も死んだこれからは…

(^^)「こんにちは、森です。」
「ぎゃーっ!鬼武蔵が化けて出たーっ!!」

「弟の忠政です。このたび徳川内府の命により、森家が川中島の領主として復帰しました、ヨロシク!
さて、みんなはオレらが海津に帰って来るの、待っててくれたよね?オレもみんなに兄貴が追い回された恨みを
返すのを、ずーっと待ち続けてたんだ。という訳で、今日から『海津』は『待城』に改名な!!」

こうして春日一族は忠政の復讐(?)を受けて全員磔刑にされ、武田四名臣、三弾正の嫡流は滅んだ。
森家の川中島統治は三年で終わったが、「右近検地」による年貢の増額、相次ぐ磔刑等、暴威を振るった。
( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2607.html )

慶長8年、忠政は津山へ去り、後任の家康の六男・松平忠輝を百姓たちが出迎えた。
「よ、ようこそ『待城』へ…」「『待城』?海津ではないのか?」
百姓たちは、改名の由来を説明した。
「殺伐とした名じゃのぅ。今日よりここは、この松平忠輝の城。わしの名字にちなみ、『松城』と改めよ。」
「は、ハイッ!!」百姓たちは、鋭気あふれる若い新領主に期待した。

562 名前:松代物語 2/2[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 19:16:21 ID:g2vkl9Xs
慶長15年(1610)、家老の花井主水を連れて『松城』の街を視察していた忠輝は、子供たちが束ねた菖蒲で
打ち合っているのを見た。「主水よ、あれは何をしているのだ?」
「ああ、今日は端午の節句でしたな。あれは『菖蒲切』と言いまして、ああやって魔除けの草である菖蒲で打ち合い、
子供たちが厄払いや武芸上達を願うのです。」「……手ぬるい。」「は?」

忠輝は子供たちを町人方と山里方に分け、町人方には薪を持たせて自分が率い、山里方には石を持たせて
花井に率いさせ、合戦さながらに戦わせた。忠輝は一切加減を許さず、何人も死傷者が出た。
「こ、今度の殿さまも大概じゃのぅ…」
『松城』の人々は、5月5日が来ると親戚中が集まって、濁り酒を酌み交わして子供たちと別れを惜しむようになり、
子供の成長を祝う祭日は、子供の生還を祈る地獄の日へと変わった。


元和8年(1622)、忠輝が改易された後、短期間で領主が変わり続けた『松城』に、その日もまた新領主がやって来た。
「…ようこそ『松城』へ……」「『松城』?海津ではないのか?」
百姓たちは、改名の由来を説明した。
「そうか、そんな事が……」「もう慣れました。どうとでもして下さい。」
「そう言うな。さし当たって、もはやこの城は『松平』の城ではない。わが家とお前たちが後の世まで永く栄えるよう、
『松代』と改名する。」「………!!」

以後この領主、真田信之とその子孫が、幕末まで『松代』を治めることになる。


以上、松代の物語でした。長々と失礼。本日亡くなった松代の子供たちに、合掌。




563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 19:33:04 ID:R04Qc1sd
>>561->>562
子供の日にそんな悲劇が…(-人-)合掌
松代の領民達受難すぎるだろ…海津からこんなに地名が変わっていたのも驚き
そして出てくると思ってた、信之兄ちゃんカッコいい!

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 20:22:44 ID:EvwUtsGo
ああ、松は長寿ってことで、『末代』とかけてあるんだな
にしても、忠輝は忠輝でたちが悪すぎるだろw

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 20:34:52 ID:BSrIfwJF
右近検地の一揆鎮圧による幕府の反応が「一揆鎮圧おめ!」だからやってられんわな

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 20:43:40 ID:0Oun9P+g
>>565
ただ保科正之も会津に入ったとき一揆を攻め滅ぼして幕府から賞賛されているので、
この時代、騒ぎが大きくならないうちに一揆を攻め滅ぼす、と言う事自体は
治世に関して良い判断だと考えられていたらしい、
最悪なのは佐々成政のように、ぐずぐずして一国蜂起みたいな状況になることなので。

567 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/05(水) 21:55:04 ID:cHqPkFIK
なんで森弟は海津に戻れたんだろう。
どうせ領地くれるなら海津にしてくれって頼んだのか?

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 22:22:04 ID:UORab9wI
一回海津行かせてくれない?ぬっ殺したいやついるんだけど

おk

こんな流れ

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 22:37:08 ID:0Oun9P+g
>>567
戻れたのは間違いなく家康に接近したおかげだが、
あの辺は鬼武蔵が信長から与えられた領地なので、
忠政が家督を継ぐとき思いっきり切り取られた
森家の旧領復活、と言う面が大きいんじゃないかな?

まあ個人的な復讐心も有ったのかもしれんが。

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 00:21:37 ID:bfId/yiC
三成への屁理屈が最悪だったがぶっちゃけ心から来たがってはいなかったんじゃなかろうかw

美濃焼やら売りさばいて儲けれる豊かな河港を捨てたくなかったはず。

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 15:07:30 ID:1gA4CNG0
>>562
信之が善政を施いたかどうかは知らんけど、最後はホッとしたよ・・・・
584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 23:23:44 ID:PRGRxx5p
>>571
善政なのかどうかまではねえ
税は高かったと言う話もあるが・・・なぜ高かったかと言えば軍備を常に戦時並にしていたせいだけど
幕末の時の動員力が他の大名に比べて格段に高かったらすぃ

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 23:52:25 ID:IOH0d+gb
北条の四公六民って戦国時代にしては超低税率だと思うけど実態はどうだったんだろうな

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 00:46:55 ID:qH0+upXt
>>584
それって、戦国時代の動員基準をそのまま幕末まで保存してたって事?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 01:00:18 ID:oPDS5DpD
>>587
かなりそれに近いレベルっぽい、江戸初期並みの動員率を幕末まで維持したんだとか。
他藩の石高あたりの動員力の3倍ぐらいを維持。
しかも、武装は普通に近代化をしているw

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 01:09:27 ID:qH0+upXt
>>589
良いこと聞いた。ありがとう。
いまいちハッキリしない戦国時代の動員力を調べるのに、
良い資料になりそうです。

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 01:12:35 ID:oPDS5DpD
参考になるかは微妙だが念のため。
幕末での動員は基本1万石で100~150人
真田は10万石で3000強。基本松代に移ってからはこのラインをずっと維持していたらしい。

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 02:16:05 ID:4RBVT9f5
>>591
1万石で200超えると相当キビシイよね。
米以外に他藩から「外貨」を稼げる商品がねえと

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 08:02:20 ID:f5TKpgRw
ところで真田家の藩って幕末の戦争で活躍したの?

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 08:08:36 ID:JJ2QHBFp
>>585
土地の予定収穫高をどの程度に設定してるかで変わるから公民歩合だけでは何とも言えん。
取られる側からすれば緩め(少なめ)に見積もった六公四民より最大限の収量を前提にした四公六民の方が苛烈だし。

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 10:48:05 ID:qms77IeJ
>>593
佐久間象山ひとりを出しただけで十分という気はするが。


596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 10:54:14 ID:KREvLrOe
>>593
活躍はしてる。
北陸路から長岡を攻略して、そのあと幕府軍が八王子から甲府に進軍しようとしたため一旦甲府に入った後、
会津若松攻略に加わり主力となっている。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    鬼っ子さま…(泣)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    信之兄ちゃんが出てきた時の安心感は異常

  3. 人間七七四年 | URL | -

    やはり森家は格が違う

  4. 人間七七四年 | URL | -

    忠輝が出たときに一瞬安心した自分が馬鹿だった

  5. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    忠輝、高田ではしなかったのか

  6. 人間七七四年 | URL | -

    お兄ちゃんのいい話ぶりは本当に真田の人なのか疑わしいぐらいだなw

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6…親父と愚弟が勘違いの原因と思量。
    上田からおっぽり出された後でもこの落ち着き様こそ、お兄ちゃんクヲリティ。

  8. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    >>4
    一時期とはいえ、あのDQN眼竜の婿殿だった男だぜ?(●∀´)

  9. 人間七七四年 | URL | -

    なんで隆慶先生は忠輝を完璧超人にしたんだろうなあ
    影武者徳川家康でもいい扱いだし

  10. 太平 | URL | -

    苦労しっぱなしだな(涙)

  11. 人間七七四年 | URL | -

    未だ残ってた在地の土豪勢力を根絶やしにしたという点では統治はしやすくなったのではなかろうか。

    燻り出し方が最低だがw

  12. 人間七七四年 | URL | -

    一族撫で斬りにされたんだけど、昌元の三弟が越後に亡命してたおかげで本家の血筋残ってんだよね>春日氏
    地元に残ってた人たちカワイソス

  13. 人間七七四年 | URL | -

    松代大本営が実現しなくてよかったな…

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