FC2ブログ

細川持隆の謀殺

2010年05月09日 00:02

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 02:52:49 ID:uIMQc9Ye
有名な話だけど、まとめ見たらまだ乗ってなかったので……

室町時代、細川家には宗家たる京兆家以外にも数多くの連枝があり、
中でも阿波細川家は宗家の中央政界での軍事力を支える有力な家柄だった。
のちに京兆家にとって代わる三好家は、元はといえばこの阿波家の家臣に当たる。

その三好家の長慶の代、阿波守護家の当主は細川持隆である。
この持隆は長慶の父である元長への寵愛深く、元長が阿波勢の名代という形で京兆家の晴元に従い畿内に赴き、
やがて晴元に疎まれて自害に追い込まれる中でも常に元長を支持してくれた人物であった。
この持隆が元長亡き後に幼い彼の遺児たちを庇護してくれなければ、後の三好家隆盛はなかったかもしれない。

その持隆が、天文二十二年に阿波国見性寺にて殺害された。
下手人は他でもない、三好元長の次男であり持隆の近臣でもあった三好義賢だった。
当時、中央政界では三好長慶の圧迫により日に日に細川晴元の勢威が衰え、
山城や摂津からも駆逐されて六角義賢支援の下での近江坂本での亡命生活が常態化しているところである。
さすがの持隆といえど、その三好一族による細川宗家の零落は自ら招いた事として我慢ならなかったのだろう。

彼は義賢を除く家臣を集めて三好長慶討伐の密議を開いたともいい、
また単に平島公方足利義栄を新将軍として押し立てて上洛し、長慶を抑えようとしたともいう。

いずれにせよ、ことここにおいて細川持隆と三好義賢の利害は決定的に対立し、
義賢は命の恩人ですらある主君を殺害して兄を守る道を選んだのだった。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 02:54:24 ID:uIMQc9Ye
この主君弑逆の罪は、義賢を生涯苛んだらしい。
彼が辞世の句としてあらかじめ残しておいたのは、

 草枯らす 霜また今日の日に消えて
   報いのほどは ついに逃れず

という、自分はきっと罪から逃れられないという強迫観念めいた内容のもの。
永禄五年、彼は味方に倍する畠山勢を迎撃した久米田の合戦の直前、持隆に死に誘われる夢を見たという。
そして実際に彼はこの合戦で討ち死にを遂げ、人々は彼が予感した通り報いが来たのだと噂した。
事実かどうかはわからない話だが、それだけ彼が罪の意識に囚われていたことが周囲に伝わっていたのだろう。

阿波細川家と三好家の怨念の連鎖はこれに終わらず、次世代にも連続する。
それは、持隆の妻で彼の亡き後に義賢に再嫁していた小少将から生まれた持隆の子真之と、
義賢の子長治・存保という異父兄弟の間で争われる骨肉の争いだった。

さらに義賢の主殺しをきっかけにそれまで細川三好体制の中で団結していた阿波国人衆に亀裂が生じ、
土佐の長宗我部家の跳梁を許す足場を自ら提供することともなり、
阿波三好家は滅亡への坂を一気に転がり落ちていくのだが、それはまた後の話である。

いろいろと後味の悪いお話。




613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 07:33:49 ID:SAc77T0g
>>610-611
まさに後味悪いなぁ・・・まあいかにも戦国乱世って感じではあるけど
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    小少将って名前だけでもなかなか心的ダメージが大きいw

  2. 人間七七四年 | URL | -

    結局この中での勝ち馬って小少将って事か?w

  3. 人間七七四年 | URL | WJsoE9fc

    三好元長の子は義理堅いなぁw
    長慶も政長を討つことをギリギリまで躊躇ってたって言うし。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/4110-1dc9cb94
この記事へのトラックバック