FC2ブログ

伊勢大神宮の御師と家康

2010年05月09日 00:07

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 00:32:26 ID:/dZK7o9L
鯖移転完了かな
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3740.htmlの派生話ぽいですが…


大坂の陣が終わった後、所司代・板倉勝重のもとに訴人が現れた。
「伊勢大神宮の御師どもが関東調伏の祈祷をしていた!」というのだ。
彼によれば、大野修理から多額の謝礼とともに依頼があり、有縁の禰宜達が大勢示し合わせた上、
人形を造って将軍家父子を呪詛したのだという。
勝重は事実を確認すると、家康に厳罰を求めた。

だが、報告を受け取った家康は次のように答えたという。
「禰宜山伏の類が、金銭をとって祈祷をするのは当然のことだ。珍しいことじゃあるまい。
こちらがもっと銭を払っておれば、逆に秀頼を呪っておっただろ。
だいたい、やつら程度の手で転がるような運気で、天下がとれたらたまらんわ。
命はとらず、伊勢から追い払うにとどめろ」
こうして、神官達は所払いとなり、命は助かったという。  (老談一言記)

家康の苦笑が見えるようなお話。




755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 01:09:38 ID:8QavOBgw
固い言葉を使うと
人を呪っても刑事罰の対象とはならないという判例を示したわけで
世界的に見ても先進的だったんではないでしょうか。

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 01:38:47 ID:MpZ9KUx9
方向寺の梵鐘に因縁つけた人とはとても思えませんなぁ~

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 01:46:34 ID:OmHIRbdi
>>756
あれは呪いじゃなくて「諱の無断使用」っていう、「非礼問題」だもの。
つまり家康の面子を潰した事件。だから家康も後の幕府も「証拠」をちゃんと残した。


759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 08:37:38 ID:WSenWaKF
>>757
家康「何か問題になってるようだけど、実際の所はどうなんだ?」
羅山「右僕射源朝臣家康は、家康を射るという意味です!呪詛です!」

家康「(呪詛なんか効果あるか、というか右僕射って右大臣の意味だろ・・・)何か問題は?」
五山の僧「呪詛なんかじゃありません。ただ、諱を避けなかったのは問題あるかと思います。無礼になるので、普通はやりませんし」
清韓(銘文作った人)「かくし題として、家康の名を使わせてもらいました。目的は国家長久です」

あらかじめ下調整して、幕府からOKもらわなかったのが悪いって説ね。銘文作った人も「偶然の一致です」と言い張れば
言い逃れはできたかもしれないとか

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 08:52:39 ID:vd1PsHSM
諱って中国ではともかく、日本じゃ問題にされないでしょ?
名前は全てオープンなんだし

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 09:17:17 ID:ZzDsg+Jv
>>760
尾張中村の農民の息子なら問題にならないだろうよ
 
超インテリ階級の貴族だったら…

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 09:26:52 ID:vd1PsHSM
超インテリ階級の貴族って誰のこと?

要は、家康も分かってない・気にしていないような事を、豊臣家潰しにうまく利用したって事でしょ
「諱」なんて概念は中国かぶれしか問題にしないよ

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 09:38:43 ID:l2heR1z0
確かに面と向かって口に出すのは非礼だけど、書状など字として使う分には特に問題はされていなかったな>諱
現代に残された書状を見れば判るけど、家康とか信長とか平然と記されている。

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 09:41:27 ID:WSenWaKF
言っとくけど、五山の僧侶の返事は「武家ではどうかは知らないけど、禅宗の世界では常識」という答え
幕府のブレーンには禅僧が少なからず居たり、武家とのつながりも大きいわけだし・・・逆説的には「中国かぶれ」は多かったことに

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 09:42:51 ID:ndRIiMyT
>>762
あの時代って尾張中村の農民の孫と超インテリの貴族が同じ人物を指す特殊な世界があったよね。

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 11:16:25 ID:OmHIRbdi
>>760
> 諱って中国ではともかく、日本じゃ問題にされないでしょ?

とんでもない。むちゃくちゃ気を使っていた。
公の場で、特に下の者が上位者の諱を言うのは公然とした侮辱行為であり、
合戦などで敵対する相手するような行為だった。

例えば、秀吉の弟の羽柴秀長の場合、信長の生前は信長の諱にある
「長」の文字を下に持ってくるのは恐れ多いと羽柴「長秀」と名乗っていた。
これほど諱と言うのは扱いに細心さが求められた。

日本人が諱を気にしなくなったのは幕末くらいから。その辺の感覚の違いをきちんと頭に
入れておかないと歴史は理解出来ないぞ?

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 11:21:52 ID:ZzDsg+Jv
豊臣は当時日本のインテリ層だった貴族のトップ
方広寺は東大寺レベルの規模
その銘文を起草した人は漢文の造詣が深い
当時豊臣と徳川は微妙な関係
 
意図せずにやったとしたら相当なマヌケだろ


768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 11:22:09 ID:k8og8OgH
>>766の言ってることが正しいな。
時代劇や歴史小説では、お互いをイミナで呼び合ってるけど現実にはありえない話。
イミナ問題についてはこれが分かりやすくて面白いよ。

やる夫で学ぶ「実名敬避俗」
http://version45.blog85.fc2.com/blog-entry-702.html

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 11:33:12 ID:OmHIRbdi
ID:ZzDsg+Jvは申し訳ないが、思い込み以外のソースを出して欲しい。

実際には諱に関しては非常に気を使っていたことはそれこそ奈良平安の昔から確認されているし、
江戸期だともっと資料が豊富で、将軍や将軍世子、藩主や藩主世子が代わるたびに、
それらの諱に抵触する諱の旗本や藩士が、諱変更をした記録がいくらでも残っている。

日本人は、それも君の言う中国かぶれのインテリではなくても、一般に諱に非常に気を使っていた。
中国とは別の形でね。これは間違いない。

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 12:32:39 ID:2j08FwaJ
その話、終わったよ!(・∀・)

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 16:29:25 ID:l2heR1z0
諱については日本ではまったく気にしなかったわけではないが、中国と比べればたしかに軽かった。

あちらでは皇帝の諱を避けるために他人の名前は変える地名は変える。
他所の国の学校名に皇帝の諱が使われていたらその書状は受け取れない。

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 17:18:09 ID:aoz7PQJP
立花宗茂はなんであんなに変えたんだろうってぐらい変えてるな
本当に気を使うものなの?って思ったりしたよ >諱

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 17:38:17 ID:ioM235Ut
>>777
同じ意味の漢字が(発音違いで)ふたつ以上あるのもそのせいだとか。

786 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/08(土) 19:33:01 ID:DZkk3aOu
>>766
新田次郎の「武田勝頼」で、軍議中に徳川信康が酒井忠次のことを「忠次!」と呼び捨てにしていて、
信康でも不謹慎(せめて雅楽頭と呼ぶべきであった)とコメントしている。

ということだから、やはり直接名前で呼ぶことは気を使うことだったかもしれない。
他のセリフでは結構名前で呼んでいるけど、これは小説の便宜上の問題なのかな。

787 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/08(土) 19:42:05 ID:DZkk3aOu
>>786
追加だけど、忠次は左衛門尉で雅楽頭じゃないかもしれないが、小説のままカキコしました。

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 20:37:49 ID:DNuLQUBW
>>777
そもそも諱の字を与えたり貰ったりする時点で中国の感覚ではないからな>日本

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 21:49:44 ID:M3oVVTfC
>>777
当方愛媛県の出身だがたしか崇徳だか後鳥羽だかの諱と同じになるってんで地名を変えたところがあったはず。
共通点のある天皇だが、無論流刑になる前のことで祟るかどうかは関係ない。
戦国時代とは違うが諱を憚って変名するとか地名を変えるとかは日本にもあった。
ただ武家が天下を取ると偏諱を受けるとか授けるとかが当たり前の習俗になってそのあたりの意識は変わったんだろう。
しかし価値があるからこそ与えたり受け継いだりしたのであって、軽がろしいものなら偏諱も忌諱も成り立たないだろうし、通称や官名も同じことだろう。


793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 22:01:45 ID:DNuLQUBW
諱と言えば、いい話か悪い話かで
大谷のよっちゃんに「輝」と略されてたTERU

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 22:11:55 ID:35DHlGhe
>>792
愛媛だと憚って「徳川」という地名を改めた話の方がよかったかもね。
そこにあるお宮はずっと徳川神社のままらしいですが。

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 22:13:10 ID:S4RSl/9L
崇徳天皇と同じ忌み名なんてそりゃあれ何か後ろに気配嗚呼嗚呼ああああs4d5tf6ygふいjこpl@;:「

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 22:32:29 ID:9b9gjFYB
>>793
大谷吉継も変えてるよな。三好義継に通じるから縁起悪い、だっけか。

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 22:43:43 ID:eSNlqpST
>>790
諱で有名ば逸話と言えば後醍醐天皇が尊治という諱の尊の字を足利高氏に与えた為に天下を奪われたと
いう話があるな。
さらに時代を遡ると淳和天皇の諱が大伴なので古代からの有力氏族である大伴氏が伴に改姓してる。

ただ武家は一字拝領とか通字があるし、中国の諱を避けるって概念は全くないよな

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 22:51:28 ID:OmHIRbdi
>>797
江戸期の藩だと、君主の世子が元服して諱が決められると、その諱の文字が
自分の諱にある家臣は、諱の変更をすると言うのが普通だったみたい。

一字拝領と言うのはあくまで特権で、そういう特別な許可がないものはやはり
諱の文字は避けなければならなかったようだ。
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    センゴクゴンベでは諱で呼び合ってないね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    諱で呼ばずに済むための通称・自称なのでは

  3. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    維民所止と雍正帝。
    維と止にナベブタをつけると雍正となる
    帝の首をとるとはなにごとか、と

  4. 人間七七四年 | URL | -

    「せいしょこさん」って呼んでるくらいだから、庶民レベルまで浸透してたんじゃあないかな。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    米4

    つい50年くらい前までの日本社会には、イミナ系の名前をわざわざ音読みして呼ぶ習慣があったんだよ。
    「キヨマサ」なんて呼ぶのは物凄く失礼だったんだ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >5
    有職読みだっけ?
    ちょっと古い本を読むと出てきて「あれ?」って思ったな~

  7. 人間七七四年 | URL | -

    諱を避けるなんて大陸に限らず他の地域にもある習慣だろ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    無礼の証拠としての現存なんだろうけど、大阪夏の陣の(豊臣陣営の)しょっぱさからすると「呪い殺せるもんならやってみやがれ」とばかりにわざと残すぐらいしそうな気がする。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/4115-bafb0b56
この記事へのトラックバック