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最上家と一国一城令

2010年05月22日 00:07

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 09:57:41 ID:iHoUGxWt
最上家と一国一城令

最上義光の死後一年ほどが経ち、時の将軍秀忠の名前で「一国一城令」が布告された。
この法令は一大名につき一城しかその領有を認めず、特に西国の大名の牽制を目当てに
公布されたという。

ここ奥羽の地でも「一城令」は他人事では無かった。
秋田の佐竹家でも関ヶ原以降の転地という理由もあり支城を幾つか認められたものの
安東氏以来の旧城はその大半を潰さざるをえなかった。

最上家に至っては安土桃山期以降も
上山城・長谷堂城・本庄城・長崎城・東根城・楯岡城・左沢城・大川城・寒河江城・山辺城・延沢城
真室城・酒田城・朝日城・新庄城・小国城・鶴岡城等
「城」とつくものだけで100城以上があったという。

城潰しの件で家中会議が焚決した際、義光の子で出来人と言われる山辺義忠がこう発言した。

「諸侯、最上の城は山形の城だけですな?」

ザワザワザワザワ・・・・・・

「ふざけるな!」
「我等の城を潰せというのか?」
「何をおっしゃる!」
「黙れ若僧が!」

家中の騒ぎを当主最上家親が遮った。

家親「義忠、わが弟とはいえ庇いきれんぞ。何か思惑でもあるのか?」

義忠「此度の件は城の破却が問題でございます。城で無ければ壊す必要性はございません。」

言葉のアヤを取るとは言え、秀忠に顔の利く家親と、義忠の幕府の実力者土居雅楽への手回しもあり
最上領の城の棄却はほとんど行われなかったという。

伊達領では「要害」と証したらしいが、
最上家では「館(たち)」と証したと言うものの、

長谷堂「館」では格好がつかないような・・・




151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 10:09:30 ID:If62u3GT
あー、こりゃ山野辺義忠を当主に立てようって話も出てくるわけだ。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 10:10:07 ID:eOEqHjof
ただの屁理屈じゃねーかw

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 10:19:45 ID:OnIf/gB1
  *      *
  *  館です  +
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *
      義忠

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 10:21:19 ID:0VYOSGQu
館です→OK
要害です→OKOK
1個除いて全部潰しました→ご苦労
うちの城になんか文句あんのかゴルァ!!!→取り潰し

要領って大事だな

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 10:31:38 ID:vF39GtgY
建前を建前と見抜けないと江戸初期を切り抜けるのは難しい
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    物は言い様とは良く言ったもんだw

    ちょっとお城に詳しい人にお聞きしたのですが。
    実際一国一城と複数お城を持っている大名。どちらが良かったのでしょうか?
    財政で言えば、一城ならそのお城だけ守って修復すれば良いけど、複数持つと財政的に厳しいのでは無いでしょうか?

  2. フォビ丼 | URL | sSHoJftA

    >>1
    要は考え方次第です。
    一国一城令に次いで寛永12(1635)年6月、将軍徳川家光より発せられた武家諸法度では城の新築どころか修理にも幕府の許可が必要になりましたので

    ・城を壊すにも金が必要(短期スパン)
    ・城を維持するにも金と許可が必要(長期スパン)

    ・新たに城に代わりに政庁を作る(経費大)
    ・城をそのまま政庁として使う(経費小)

    ・新たに兵の集積場所を作る(経費大)
    ・城をそのまま集積場所に使う(経費小)

    ・複数城持ちは幕府に眼を付けられやすい上に古参家臣に権力が分散しやすい(改易となった最上家、騒動の伊達家など)
    ・一城持ちは主君に権力を集中し易い

    などで短期または長期的に見てどっちが楽かという事ですね

    国宝犬山城も個人所有から地方公共団体に寄贈されたようにいずれにしても管理運営にはそれなりにお金は掛かる模様です。

  3. 人間七七四年 | URL | HfMzn2gY

    2番さん、有難う御座います。
    え~っとつまり、財政を含む政治を考えれば一城。
    権威や武力を維持したいのなら、複数持ちと言う考えで良いのでしょうか・
    (間違ってたらすいません)

  4. フォビ丼 | URL | sSHoJftA

    >>3
    長い期間で考えればその通りです。

    あくまで私論ですと
    一城「太平の世向け、一極集中型」と
    複数「非常時対応型、権力分散型」です。

    平和であれば一城にして、お寺や民家や館を「必要な時だけ」「公民館」として利用できるようなイメージですかね?

    複数城持ちは権力派閥闘争を伴うものの、権力の分散も出来ますが、一城支配は殿様の暴走も許す結果になります。

    幕府としては命令をするにも数が少なく指示しやすい一大名「一城」の方が管理しやすいと。

    複数城を認めると、それだけ幕府の威光を損なうため、示威行為もあって「減城」させたみたいです。

  5. @@ | URL | -

    戦争用の堅固な城は平和な江戸時代には役に立たないこともあったわけで。
    たとえば常陸笠間藩の城は笠間城(佐白山)ですが、山城なので、ふもとの館で政治を取ってましたし。

    ただ、石垣を要する城と違い土塁の城はごまかしが効きますね。
    江戸時代廃城となった城ですが、その後更地にすることなく、現代まで残っている城跡がいくつもあります。ちょっと整備すればすぐ使える。(現代戦では使えませんが)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    4・5番さん。重ね重ね有難う御座いました。

  7. | |

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