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松平清康、大久保忠茂に褒美を与える

2010年05月22日 00:07

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 23:08:32 ID:vdE4bNC4
大永4年(1524)6月、松平清康の家臣大久保忠茂(彦左さんの祖父)は、敵対する岡崎松平氏、松平信貞の山中城を
風雨をついて夜襲し、これを攻略した。

この戦果に清康は大いに喜び、忠茂に言う
「望みどおりの褒美をとらそう!何が良いか!?」

「望み?いえ、特には。」

「何を遠慮しておる!何でも良い、望みを申せ!」

「望みと申されましても…。殿はまだまだ領地も少なく余裕もないので、これ以上知行をいただくわけには参りませぬ。
私ももう老い先短い年寄りですし、それに息子の新八郎(忠俊)、甚四郎(忠員)、弥三郎(忠久)にも既に、
それぞれの身に応じた知行を頂いております。それ故に、望みというものはございません。」

清康、苦い顔をして
「…はっきり言うな。」

「こういう事ははっきり申し上げないと。」

「そ、それでもなにか望め!」

ここまで言われても清康、諦めない、忠茂も面倒くさいが清康も充分に面倒くさいのだ。

「それでも、と言われましても…。うーん…。」

「何かひとつくらいあるだろう!?」

「ではせっかくですから、升取り(市場の公正性の監督官)にしてください。まあ、食い扶持くらいにはなるでしょう。」

「…あんまり嬉しそうじゃないな。」

「いえいえ、大いに喜んでおります。」

「うむ!ではそのような望みなら簡単なこと!升取りにしてとらす!」

「有難き幸せ。」

清康、大久保忠茂に褒美を与える、と言うお話。




145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 23:12:24 ID:dGBnFRO4
ほとんど脅迫じゃねーかww

148 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/21(金) 00:12:35 ID:6O8uHCfF
その城をもらえばよかったのに。

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 08:03:35 ID:VXTaWOFO
そんなことを望めば謀反を疑われて
粛清されるんじゃね?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    今回は三河者の面倒臭さと言うよりも、大久保さんは家の事を思って遠慮した、清康は部下を報いたいって感がするのですが、うp主さんの書き方でそう見えただけかな?w

  2. 人間七七四年 | URL | -

    褒美と言っても、責任を伴うものがほとんどだしな
    でも銭を選ばないのは三河者らしいw

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >>米1
    確かにこの話って
    忠茂:清康の身代が小さいので負担になるような増知を受ける気はない。
    清康:忠茂が恩賞として知行をもらう気がないのを察している。
    という前提で
    清康が強いて恩賞を与えようとしたからこういう話になった感じだよね。

    わざわざ恩賞を与える前に本人の望みを確認したりしている辺りからもそんな印象を受ける。
    本人の希望とは言え、城を奪取した功労者が恩賞なしでは今後手柄をたてた者が恩賞を受け取りにくいから清康は強請するし、
    忠茂は忠茂でそれを察したからも清康の負担にならないような希望を述べた、といういい話でいいと思う。

    松平昌安を松平信貞と表記している辺りから、たぶん出典は改正三河後風土記だと思うけど手元にないので確認できない。
    原典はどんなふうに書いてるんだろう。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    清康お爺ちゃんの当時の年齢が気になります…

  5. 人間七七四年 | URL | -

    いい話だとは思うけど、確かにめんどくさいなww
    三河者っていつからめんどくさくなったんだろう…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    きよやすじゅうさんさい△

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >>4
    当時数えで14歳だそうだよ
    生誕 永正8 年9月7日(1511年9 月28日) ←wikipedia

  8. 人間七七四年 | URL | -

    史記なら保身の術になるけど、場所が三河だとめんどくさい話になるなw

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