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平島公方、足利義維の阿波脱出

2010年05月23日 00:00

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/22(土) 02:43:22 ID:7bjIclZO
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4110.htmlにもあるように、
天文二十二年、阿波守護細川持隆が三好義賢に殺されるという事件が発生した。
細川京兆家や足利将軍家への路線対立が原因で、
この弑逆に反発した義賢の舅、久米義広をはじめとする阿波国人の一部の決起を招く。
いわゆる鑓場の義戦である。

この事件は結果的にそれまでの阿波国人衆の団結を破壊し、
後の三好長治の暴政と相俟って阿波三好家衰退の遠因の大きな一つとなってしまうことになる。

……ところで、この時に三好義賢の行為に不快感を覚え、
公然とその支配に反旗を翻したのは久米の一味ばかりではなかった。

阿波平島に御所を置く平島公方、足利義維その人である。
彼はかねてより阿波細川家と三好家、そしてその主家たる細川晴元に推戴され、
かつては足利義晴を近江に逐って堺に公方府を開府した天下人であったのだが、
晴元の変心により堺公方府が打倒され、三好元長が殺害されると細川持隆に庇護される身となった。
つまり、彼にとっても細川持隆は晴元の裏切りからその身を守ってくれた恩人だったのである。


          ,;r'"´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ、
         ,r'";;;;:::::;彡-=―-=:、;;;;;;ヽ、
        /;;ィ''"´  _,,,,....ニ、 ,.,_ `ヾ;;;;〉
         `i!:: ,rニ彡三=、' ゙''ニ≧=、!´  山口へ行こうぜ・・・・・・
        r'ニヽ,   ( ・ソ,; (、・')  i'
         ll' '゙ ,;:'''"´~~,f_,,j  ヾ~`''ヾ.  久しぶりに・・・・・・
        ヽ) , :    ''" `ー''^ヘ   i!
        ll`7´    _,r''二ニヽ.     l  キレちまったよ・・・・・・
        !:::     ^''"''ー-=゙ゝ    リ
        l;:::      ヾ゙゙`^''フ    /(というかむしろ俺が行く)
        人、      `゙’゙::.   イ


935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/22(土) 02:44:16 ID:7bjIclZO
恩人たる持隆はもはや亡く、阿波一国は裏切り者の義賢の支配する土地に成り果てた。
これに激怒した義維は、嫡子義栄や家臣を引きつれ周防の大内義長を頼って阿波を出た。
むろん、義賢は必死に止めたが、義維はその諫止を聞く事はなかった。
この頃には長慶率いる三好勢はすでに摂津の多くを支配下に収め、山城を窺う勢いである。
三好のご機嫌を伺っておけば、あわよくば義晴を打倒した後に将軍の座を狙えるかもしれない。
そんな可能性すら蹴って、彼は三好との絶縁を選んだのだ。
ただ、恩人である持隆に報いるというそれだけのために。




……とまあ格好よく出て行ったものの、結局二年も経たずに帰ってきたんですけどね。
どうも大内家というか陶晴賢一党としっくりこずに帰ってきたらしい。
そりゃ、下克上を良しとせずに国を出たのに、逃げた先も下克上で成立した政権ではねぇ。

その後の平島公方の末路はご存知の通り、第十四代将軍の誘惑には勝てなかったのだろう。
初志貫徹できない公方様の格好悪いお話。




936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/22(土) 09:29:38 ID:PiSiAZsC
>>934-935
義隆時代ならともかく、
晴賢が睨みを利かせる義長政権ではさぞ居づらかっただろうなw
下手すると殺されかねないし
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    山口から帰って来るよりも、他の家に厄介になる事は出来なかったんでしょうかね?(自分も思い付きませんが・・・)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    朝倉とかね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    平島公方は、すごいんだよ

    江戸時代になってからは
    どの有力(名門)大名も男子は家督継げない。徳川の人間が養子に入って家督継いでいるから
    ○○家の宗家といっても、血が非常に薄く胸張って言えまい。

    例)仙台伊達

     政宗を牽制するため 飛び地の四国 (宇和島)に領地加増させ、政宗の嫡男に
    宇和島を治めるよう命じる。
     仙台伊達氏は、徳川の家から養子を迎え 以降、幕府が亡くなるまで
    徳川家の人間が養子に入って家督を継ぐ。
     よって、仙台伊達氏と宇和島伊達氏は非常に仲が悪い。


    このように、有力・名門大名に徳川家は寄生する。足利の将軍家絶え鎌倉公方の
    義氏の娘と義明のオノコが結婚し喜連川氏となのり以降、この家が近世まで
    足利一族の宗家となる。が、小大名ではあるが名門であるがゆえに、徳川家から
    婿養子が幾度となク入る。

    そんななか、平島公方は、江戸時代から明治まで四国にて保護家として
    徳川家から生活援助を受けて脈々と生きてきた。

    保護家であるから、政略外であることが幸いし近代まで足利氏の純潔を守り通した。

    近年まで、足利一族の菩提を弔う行事を宗家の足利家(明治に喜連川家から足利へ戻した)が
    取り仕切っていたが、高齢で引退する折りに先の政略結婚を取り上げ、純血を守ってきた
    (正当な室町系足利氏家系)平島公方へ宗家の座を譲った。


  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    >仙台伊達氏は、徳川の家から養子を迎え 以降、幕府が亡くなるまで
    >徳川家の人間が養子に入って家督を継ぐ。
    >よって、仙台伊達氏と宇和島伊達氏は非常に仲が悪い。


    仙台伊達氏は、徳川家から養子は迎えておりませんし
    どこか別の家と勘違いしているのでしょう

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