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大谷吉継の見解

2010年06月01日 00:04

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/31(月) 18:08:35 ID:wP5ompo0
徳川家康が上杉征伐のため会津に下向した頃のこと

石田三成は大谷吉継に対し、徳川家康が会津征伐に向かう隙に反乱の兵を挙げる、と告白した。
「畿内で兵を挙げ会津の上杉景勝とともに東西で挟み撃ちにするのだ!」

これを聞いた大谷吉継は言う
「理屈では可能だろう。が、おぬしは、彼を知って己を知らぬ。

今武家のうち最も官位の高いものは誰か?家康である。
軍功を最も重ねた武将は誰か?家康である。
家臣を最も多く持っている大名は誰か?家康である。
家中が最もまとまっている家はどこか?家康である。
そして最大の所領を持っているのは誰か?家康である。

治部よ、この五つの内、一つとてそなたは及ばぬ。これが、そなたが勝利出来ぬ理由である。」

三成は反論する
「いやまて、天下の内秀頼公を尊崇しない者などいない。そして今家康には、臣として君を犯す不忠の名がある。
私は忠を守り、幼君の命をいただき義兵を挙げる!天下の諸士の内これに従わないものなどいようか!」

吉継は笑い出した
「忠も不忠も、徳に寄るものだ。良く考えてみろ、
昔、新田義貞は後醍醐帝の勅を賜り足利尊氏と戦った。忠も義も大義名分も全て義貞の側にあった。だがどうだ、
彼は勝利を得ることは出来なかった。何故か?人々は天下の英雄尊氏に懐き、帝の威すら恐れなかったからだ!
わしが考えるに、今度おぬしが義兵を挙げたとしても、未だ幼い秀頼公に付く者は、そう多くはないだろう。

だいたい、どうしてこの事をもっと早く知らせなかったのだ。もし最初から知っていれば、家康が伏見にいたときに
これを討つ手立てはいくらでもあっただろう。せめて石部に宿泊した時であったなら、不意をつくことも
出来たものを…。家康は関東に下ってしまった。行動の自由を許してしまった。
これは魚が水を得たようなものである。」

しかし吉継は結局、「そなたを見捨てるのは義に欠ける」と、三成に協力する事になる。

大谷吉継はこれほど状況を冷静に見ていた、と言うお話。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    しかもその『不忠』が未だ不明な時だからなぁ、あまりにも大義名分としては弱すぎる。
    もうちょっと多数派工作できなかったんだろうか。
    まあ、秀吉自身がやらかしちゃった後だから、不忠を『立証(※事実でもでっち上げでも)』できなくてどうしようもなかろうが……。

  2. 御神楽 | URL | dvUYBDnY

     有名な話だね。
     あと、吉継が「何故今まで黙っていた」と泣いた話も聞いた事がある。
     三成の回答が、おぬしは病魔に蝕まれているので迷惑を掛けたくなかった的な回答のやつ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    真田からも「言うのが遅い」って怒られてたな
    まあ秘密を守る方を優先したんだろうけど、もうちょっとなんとかならんかったかと思ってしまうな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ある意味「黙ってた」と言うのも確かに機密保持の為かも知れないが、単に三成が他人を信用しない性格なのかもしれない。
    でも、逸話としても友人に大切な事を打ち明けられないってのは吉継さんも可哀そうだなぁ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    最近の説では、三成はその気はなかったが宇喜多が先に動き出してしまったため、というのがあるな。
    三成にしてみりゃ、前田に続き上杉、宇喜田まで家康に抑えられてしまっては取り返しがつかなくなると考えて立ったということになるな。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    でもまあ、佐和山20万石、戦下手の中小大名が
    関東250万石の王にして戦上手の日本最強クラスの大名に真っ向切って喧嘩売れる陣容揃えてみせたんだから
    三成もまた非凡ではあるよな、性格は武将に向いてないけど

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    まったくそのとおりだと思う。
    「オイオイ、なんとかならなかったのかよ」じゃなくて、
    もうどうにもならないものを精いっぱいなんとかしたのが関ヶ原、
    と考えると三成の非凡さが分かる…のかもしれない。

  8. 難治やねん。 | URL | -

     まあ、多分宇喜多・三奉行が主導でしょう。三成は彼らの説得を受けて立ったとみるのが自然。
    (というか、三奉行の意向を受けた吉継の方が、三成を説得した流れの方が自然ですね。)
     縁戚である真田への三成の説得が遅れたのも、三成主導ではないことを裏付けている。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    最近じゃ、黒幕TERU説もあるよね。三成は方面軍司令扱いながら、最後に使い捨てられたとか。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    当時のキーパーソンのうち家康の次にフリーハンドを持てていたのはTERUだと思うんだよね
    その次に蔵入地を管理し実質的な首相だったと思われる増田長盛
    「動ける人間が動いただけ」という浅い見方でしかないが、この二人は怪しいと思う

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