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和賀忠親と政宗

2010年06月01日 00:04

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/31(月) 00:41:48 ID:Rk3JOHED
和賀忠親と政宗

北信愛の奮戦により花巻城攻略に失敗(昼間兵を農民に目撃されていたという話も)
した和賀忠親は態勢を整えた南部勢に敗北し岩崎城に追い詰められた。

だが岩崎城は川と川の合流地点の小さい山にあり、まわりは湿地。
さらに伊達領までわずか2キロ程度しかなく伊達家の支援も期待。
何とか良いところに逃げ込めた。

約一ヶ月後南部利直の本隊が到着するも冬がきたので両軍一旦解散、翌年3月に篭城しなおす。
4月に南部勢は総攻撃準備を始めると忠親は伊達家に援軍を頼みに行き(本人が城を抜け直接行って城に戻ってきた)
白石宗直率いる伊達勢が向かうも夏油川で敗北、総攻撃で落城、忠親は伊達領に脱出した。
(余談だがここにも馬を米で洗う話が。テンプレ?)


さて、援軍まで出すという全面支援してしまった我らがまーくん。
あっさり家康にバレて忠親と一緒に江戸に呼び出しを食らう。
「利直、政宗の前で忠親に証言させようじゃねーか」

これはマズイ。
悩んだ政宗は
(;●Д-)「忠親、伊達家のために切腹して下さい」
(政宗公より主馬殿へ被 仰遣候は此度之義政宗一大事に候間切腹を被相頼度候)
と頼んだ。
支援を受け、敗北後匿ってもらっていた忠親は是非もなく切腹。
政宗は首を持って詫びを入れ、最悪の事態は避けられた。


その後政宗は和賀氏を「客分なれば一門格なり」と言って保護し、一族の毒沢氏から側室をもらい伊達宗勝が誕生する。
しかし、幕府に睨まれるのを恐れて藩の役職にはつけなかったという。



どうも良い話ではない気がするのでこっちに




100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/31(月) 07:05:58 ID:49ZNqLZa
この鬱憤がのちの樅の木は残ったにつながるわけか。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | k0k1oKVE

    大藩の存続が掛かった仕儀だから、和賀さんには切腹してもらったけど、お互いの利権一致からの挙兵ではあるが、武器や資金の供出、援軍派遣に敗戦後匿うとか恩義あるから、まともな武士なら政宗に頼まれなくとも「これまでの助太刀にて十分に候、これ以上は伊達家に迷惑かけまじ」と自ら切腹して果てただろうね。
    和賀もこの処置には恨みは無いと思う。
    如水の話と違って、遺族を一門にしたりと政宗何気に優しいな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    忠親の証言が無くとも援軍を派遣して南部勢と交戦させてしまったという事実だけで普通有罪、処分は免れないと思う。それを僅かとはいえ加増にまで持ち込んだのだから、政宗は本当しぶとい。いや交渉上手かも。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    まーくんは若いときは交渉ナニソレ(●∀・)?って感じだが、徳川の世ではホント上手く立ち回ったよなと思う。
    難癖つけて潰されまくってた外様の中で家督継げない庶長子秀宗にまで10万石貰ってるし。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    秀宗10万石拝領の理由が本当に分からない。

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