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島津義弘の撤退と長束正家の家臣

2010年06月01日 00:05

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/31(月) 21:34:53 ID:tzPu8f7K
関ヶ原の戦いで石田・小西・宇喜田・大谷など西軍諸隊が総崩れになる中、
ただ一隊、陣を崩さずにいた島津勢は壮絶な敵中突破→退却戦を敢行する。


陣していた北国街道から主戦場を南下して、伊勢街道に抜けようという計画
だったが、西軍総崩れの報により前進する徳川本陣の傍を通り抜ける形となった。
交錯する部隊が島津勢と知った井伊直政・松平忠吉・本多忠勝の軍勢が追撃するも
井伊・松平は負傷、本多忠勝も馬を撃たれて落馬する。しかし、自軍も島津豊久、
長寿院盛淳らをはじめ、多くの兵を失っている。


ようやく徳川勢の追撃を振り切った島津勢だが、今度は行く手に別の軍勢が現れる。
南宮山方面から退却してきた長束正家や長宗我部盛親の軍勢である。
同じ西軍ではあるが、寝返りの可能性がある。島津維新入道は両軍勢の去就を疑い、
伊勢貞成を撤退挨拶役として派遣し、彼等の真意を問い質した。

使者に立った伊勢はまもなく一人の騎馬武者を連れて帰還する。
結局、長束・長宗我部勢ともに自軍の退却で一生懸命であり、島津勢に害意はなしと
いうことであった。


同行した騎馬武者は長束正家の家臣であった。彼は言う。

「島津殿は地理不案内とお見受けする。我が主正家はほど近き近江水口の領主。
 地理に詳しゅうござる。それがし、主より島津殿ご案内の役を仰せ付かった。
 さあ、参りましょう。」

長束正家は自軍敗走の最中、遠方から来た島津勢のため親切にも道案内役を付けて
くれたのである。案内役は翌日の夜明けまで島津勢と行動を共にし別れている。


長束正家、あんまりいい話聞かないけど、こういうこともしているんですね。
奥さんが本多忠勝の妹っていうことも知りませんでした。




411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/31(月) 21:37:37 ID:Kb4DFEO2
>>410
自軍だけでも手一杯だろうに
そういう状況の中こういう細やかな気配りが出来る人って凄いよな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    正直戦場では余り良い話が伝わってこない長束さん。こんな気使いも出来たのですね。こう言う細やかな部分が奉行としてやって行ける人となりを表しているのかもしれないですね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    やっぱり歴史に名を残す人って違うな…
    本当に能吏だったんだろうな。治世であればもっと
    功績を挙げれた人物だったに違いない。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    兵站奉行としてはガチ天才だったからなぁ
    関ヶ原では良いところ無かったイメージだったけどこれはいい話

  4. 人間七七四年 | URL | 8etWOR1A

    案内した武将はその後、薩摩まで一緒だったんだろうか?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >>米4

    >くれたのである。案内役は翌日の夜明けまで島津勢と行動を共にし別れている。

    ヒント

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ラスボスがきっちりシステマティックな政府のようなものを渡しておけば
    三成や長束さんたちがきっちりまとめきったのかも知れない
    やはり晩年の迷走は、ラスボスの最大の罪だなあ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    秀次をそのまま後継者に据えておくだけで、
    後は能吏たちが政権をちゃんと支えてくれただろうにね

  8. 人間七七四年 | URL | -

    豊臣政権って秀吉と秀長自身の能力の高さに加えて、譜代級の家臣も武勇・知略・政治において優秀な人間ばっかりだし、天下統一にあたって元々敵方の人間でも日本全国の優秀な大名・陪臣が軒並み配下に加わったからそりゃすごいよね。
    後継者問題さえなければね…

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