134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 01:01:04 ID:ZVomUtX/
『知恵伊豆と空印』
寛文元年、京都の東福門院御所から江戸に連絡があり、松平信綱に御用があるから上洛してほしい、といってきた。
さっそく信綱が上洛してその御用をうかがうと、十ヵ条からなる願いの筋で、後西天皇から出たものだったといわれる。
ところがその願いを聞いた信綱は、江戸の将軍家綱や他の閣老たちに相談せず、その場でそれらが全て叶い難い事を
理路整然と復答して、江戸へ帰っていった。
帰府した信綱は、隠居し空印と号していた酒井忠勝のもとを訪れ、その経緯を報告した。信綱としてはいささか
得意な気持ちもあった。
すると空印はその報告を聞き終えると、やおら口を開いて次のように語った。
「お話はたしかにうけたまわった。ただ女院御所からわざわざ貴殿を名指しで召しのぼされたのは、それが
重い御用だったからと思われる。
そしてその御用が全てお引き受けできないような願いであり、貴殿の才覚をもって申し開かれたことは道理至極で、
非難すべきところは少しもないが、徳川家ゆかりの女院御所の仰せでなのであるから、理非ともに
将軍家に一応お伺いすべきではなかったか?」
「その場で理非が見えるからといって、すぐにご返事はせず、それほど不都合のないものは一、二ヵ条くらいは
仰せ通りにしてやるべきではなかったか。だいいち、こたびの貴殿のなされようは、京都よりも江戸の将軍家を
ないがしろにしたものと言われても致し方あるまい。」
空印のこの言葉は痛烈であった。空印は〈知恵伊豆〉といわれる信綱の〈理〉に走りすぎる政治を憂えていたのである。
信綱は赤面して辞去したという。
いい話スレで話題になってた信綱さんのバツの悪い話
135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 01:16:23 ID:6Bk3EFwR
>>134
酒井忠勝は幕府嫌いの後水尾院からすら絶大な信頼を得ていたくらい、朝廷とのパイプが
太かったらしいからね。変に幕府と朝廷の間をこじれさせかねない態度はとるべきではない、という
注意だったのでしょうな。
逸話や事歴を見ても知恵伊豆は別に悪人というような人ではなく、ものすごく真面目で有能な
幕府官僚なんだけど、それゆえに幕府の外からの視点、と言うものをたまに忘れる感じがするな。
136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 09:27:09 ID:HvZpjD4u
「知恵伊豆」と聞いて志村伊豆守光安がそわそわしております。
137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 09:40:37 ID:S5Z4wpFX
真田伊豆守だって黙ってないんだからね!
138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 11:33:03 ID:cQH9+cro
これだから伊豆守は
139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 12:56:51 ID:oaDuooMV
何か絵に描いた様な「才気走る若造」だよねw
140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 14:01:43 ID:6eMxg8ct
成功した三成ってイメージが有る
141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 14:15:26 ID:P2utHb5U
反省する心を持っているから大成した、という逸話が多いね。
142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 14:34:34 ID:WU/phL+V
>>134には続きがあって、その翌年に信綱は病死するわけだけど
女院御所を軽んじた罰があたったのだと公ではそういうことになっているが
実際は、忠勝の言葉に大いに恥じ入り、それが病根になったのだ!
とまで言われる始末
ぶっちゃけ忠勝も同じ年に後を追うように亡くなってるけどな
143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 18:26:21 ID:40nMbbEa
ちょっと言い方きつかったかな~、と思い悩んでいたのかもしれない。
『知恵伊豆と空印』
寛文元年、京都の東福門院御所から江戸に連絡があり、松平信綱に御用があるから上洛してほしい、といってきた。
さっそく信綱が上洛してその御用をうかがうと、十ヵ条からなる願いの筋で、後西天皇から出たものだったといわれる。
ところがその願いを聞いた信綱は、江戸の将軍家綱や他の閣老たちに相談せず、その場でそれらが全て叶い難い事を
理路整然と復答して、江戸へ帰っていった。
帰府した信綱は、隠居し空印と号していた酒井忠勝のもとを訪れ、その経緯を報告した。信綱としてはいささか
得意な気持ちもあった。
すると空印はその報告を聞き終えると、やおら口を開いて次のように語った。
「お話はたしかにうけたまわった。ただ女院御所からわざわざ貴殿を名指しで召しのぼされたのは、それが
重い御用だったからと思われる。
そしてその御用が全てお引き受けできないような願いであり、貴殿の才覚をもって申し開かれたことは道理至極で、
非難すべきところは少しもないが、徳川家ゆかりの女院御所の仰せでなのであるから、理非ともに
将軍家に一応お伺いすべきではなかったか?」
「その場で理非が見えるからといって、すぐにご返事はせず、それほど不都合のないものは一、二ヵ条くらいは
仰せ通りにしてやるべきではなかったか。だいいち、こたびの貴殿のなされようは、京都よりも江戸の将軍家を
ないがしろにしたものと言われても致し方あるまい。」
空印のこの言葉は痛烈であった。空印は〈知恵伊豆〉といわれる信綱の〈理〉に走りすぎる政治を憂えていたのである。
信綱は赤面して辞去したという。
いい話スレで話題になってた信綱さんのバツの悪い話
135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 01:16:23 ID:6Bk3EFwR
>>134
酒井忠勝は幕府嫌いの後水尾院からすら絶大な信頼を得ていたくらい、朝廷とのパイプが
太かったらしいからね。変に幕府と朝廷の間をこじれさせかねない態度はとるべきではない、という
注意だったのでしょうな。
逸話や事歴を見ても知恵伊豆は別に悪人というような人ではなく、ものすごく真面目で有能な
幕府官僚なんだけど、それゆえに幕府の外からの視点、と言うものをたまに忘れる感じがするな。
136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 09:27:09 ID:HvZpjD4u
「知恵伊豆」と聞いて志村伊豆守光安がそわそわしております。
137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 09:40:37 ID:S5Z4wpFX
真田伊豆守だって黙ってないんだからね!
138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 11:33:03 ID:cQH9+cro
これだから伊豆守は
139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 12:56:51 ID:oaDuooMV
何か絵に描いた様な「才気走る若造」だよねw
140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 14:01:43 ID:6eMxg8ct
成功した三成ってイメージが有る
141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 14:15:26 ID:P2utHb5U
反省する心を持っているから大成した、という逸話が多いね。
142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 14:34:34 ID:WU/phL+V
>>134には続きがあって、その翌年に信綱は病死するわけだけど
女院御所を軽んじた罰があたったのだと公ではそういうことになっているが
実際は、忠勝の言葉に大いに恥じ入り、それが病根になったのだ!
とまで言われる始末
ぶっちゃけ忠勝も同じ年に後を追うように亡くなってるけどな
143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 18:26:21 ID:40nMbbEa
ちょっと言い方きつかったかな~、と思い悩んでいたのかもしれない。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
知恵伊豆さんは、頭が良すぎて答えを早く出してしまう傾向が感じられる。
それが、こう言うちょっとケチが付く的な話が出る要因かもしれませんね。
しかし、ちゃんと人の話を聞けるし反省も出来るからこそ大成したのだと思う。
こう言った部分が三成と比べられるのかもしれませんね。
( 2010年06月03日 05:50 )
人間七七四年 | URL | -
>真田伊豆守だって黙ってないんだからね!
これかわいい。
しかし、相変わらず知恵伊豆が乱世に生まれていたらどうだったのか気になる。
( 2010年06月03日 13:22 )
人間七七四年 | URL | -
※2
…言ってるの、絶対、K○MATSU殿だから…蜻蛉斬初号機たずさえて。
( 2010年06月03日 22:33 )
人間七七四年 | URL | -
後西天皇、西天皇はいないけれど後西天皇。
( 2011年01月20日 03:46 )
人間七七四年 | URL | -
134,142=明良洪範
1年前の万治3年に拝謁し5箇条の下問があって謹答し御感を蒙る(寛政重修諸家譜)ここから少し話が変わっていった逸話かな
( 2019年01月28日 16:35 )
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