201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 07:39:28 ID:xMVYQ+Sg
2つの安東氏~檜山と湊~ その5
乱世において最も優先されるのは事の善悪よりも実力であろう。
結局、愛季には実力があり、実季も湊合戦を生き抜いた以上、湊系家臣団は従うしかなかった。
しかし転機が訪れる。当事者達にとっては転機というよりは災厄に近い。
関ヶ原後の転封である。
湊系家臣団が実季のミスを非難し、彼に敵対する俊季に付くのは自然の流れであった。
俊季が藩政を掌握すると、実季が統合した湊家の菩提寺を復活させたことからも
俊季の背後に湊系の家臣団の姿が見える証拠といえるのである。
檜山安東氏と湊安東氏の(仲が)悪い話
……でも本当に悪いのは湊と檜山の対立が根深かすぎて
ここまで長く説明しなきゃならないことである。
202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 08:54:22 ID:gYH2PN56
ちょっとスレの範疇を超えてるwww
203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 11:12:18 ID:huVLpLMA
お疲れw、北の歴史は詳しくないので興味深かったよ
204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 12:10:20 ID:6IF+67Ax
非常に興味深く読ませてもらいました。
205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 12:39:00 ID:xMVYQ+Sg
コピペミスで>>200と>>201の間が抜けてることに今気付いたしw(消しちゃったのに)
掻い摘んで言うと
愛季が湊城を制圧したあと、湊の正統な主である茂季は湊城には入れなかった。
嫡男である業季を湊城に、その弟の実季を檜山に残して、自分は息子二人の城の間である脇本城で睨みを効かせたからだ。
ところがままならないもので、業季は16才の若さで死んでしまった(湊の連中はザマァwと思っただろう)
ついでにその一ヵ月後に愛季が強いパイプを持っていた信長も本能寺でアボン
しかし空いた湊に茂季や、茂季の息子である通季を戻す筈もなく
実季を湊城にいれて引き続き湊と檜山の両家を掌握し続けたのが愛季。
こういう背景があったので愛季が戸沢との対陣中で発病してそのままポックリいって
実季13才ともなれば華麗に湊が後ろから裏切って一騒動になるわけですな
北斗とかに例えられたり、名将あつかいされてるが
出自が由緒正しい(本当か?)だけで梟雄とか謀将の人だとつくづく思う>安東愛季
鮭の人とイメージ取り替えると丁度良いんじゃないかw
206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 13:25:31 ID:Mmjzwjs1
最初にフンを丸めたフンコロガシは
フンを横取りしてくるフンコロガシには絶対に勝てないって
昔ファーブル先生が言ってた
207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 14:40:22 ID:e2eF1s3T
しかし、名君の安東堯季が舜季に娘を嫁がせた、か
都合よく堯舜が揃うとは思えないから、どちらかが改名したのかな
そして自らを堯舜になぞらえて、統治に励んだのだろうか
208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:30:26 ID:zA0YRgQt
こんなにおもしろい東北勢なのに
ちょっとでかい図書館へ行っても
ろくに「資料」がないんだぜ
209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:41:18 ID:pyrss1w3
まったく人の名前ってのは難しいのう…。
いつも愛の読みだけ忘れてしまう。
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:54:18 ID:CnynYTKf
めごでいいよもう
211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:56:48 ID:gYH2PN56
政宗さんまで絡めるなよw
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 19:15:57 ID:CgmUIh3W
同じ東北でも、近隣の資料とかないんだよな・・
仙臺(台)叢書見ようとしたら、ページ開けるか怪しいぼろぼろ本が出てきたり
和綴じ本出てきたこともあったし
関連
2つの安東氏~檜山と湊~ その1:ほんのちょっとだけ義満の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その2:南部氏の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その3:安東政季の(諦めの)悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その4:安東愛季の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その5
乱世において最も優先されるのは事の善悪よりも実力であろう。
結局、愛季には実力があり、実季も湊合戦を生き抜いた以上、湊系家臣団は従うしかなかった。
しかし転機が訪れる。当事者達にとっては転機というよりは災厄に近い。
関ヶ原後の転封である。
湊系家臣団が実季のミスを非難し、彼に敵対する俊季に付くのは自然の流れであった。
俊季が藩政を掌握すると、実季が統合した湊家の菩提寺を復活させたことからも
俊季の背後に湊系の家臣団の姿が見える証拠といえるのである。
檜山安東氏と湊安東氏の(仲が)悪い話
……でも本当に悪いのは湊と檜山の対立が根深かすぎて
ここまで長く説明しなきゃならないことである。
202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 08:54:22 ID:gYH2PN56
ちょっとスレの範疇を超えてるwww
203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 11:12:18 ID:huVLpLMA
お疲れw、北の歴史は詳しくないので興味深かったよ
204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 12:10:20 ID:6IF+67Ax
非常に興味深く読ませてもらいました。
205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 12:39:00 ID:xMVYQ+Sg
コピペミスで>>200と>>201の間が抜けてることに今気付いたしw(消しちゃったのに)
掻い摘んで言うと
愛季が湊城を制圧したあと、湊の正統な主である茂季は湊城には入れなかった。
嫡男である業季を湊城に、その弟の実季を檜山に残して、自分は息子二人の城の間である脇本城で睨みを効かせたからだ。
ところがままならないもので、業季は16才の若さで死んでしまった(湊の連中はザマァwと思っただろう)
ついでにその一ヵ月後に愛季が強いパイプを持っていた信長も本能寺でアボン
しかし空いた湊に茂季や、茂季の息子である通季を戻す筈もなく
実季を湊城にいれて引き続き湊と檜山の両家を掌握し続けたのが愛季。
こういう背景があったので愛季が戸沢との対陣中で発病してそのままポックリいって
実季13才ともなれば華麗に湊が後ろから裏切って一騒動になるわけですな
北斗とかに例えられたり、名将あつかいされてるが
出自が由緒正しい(本当か?)だけで梟雄とか謀将の人だとつくづく思う>安東愛季
鮭の人とイメージ取り替えると丁度良いんじゃないかw
206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 13:25:31 ID:Mmjzwjs1
最初にフンを丸めたフンコロガシは
フンを横取りしてくるフンコロガシには絶対に勝てないって
昔ファーブル先生が言ってた
207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 14:40:22 ID:e2eF1s3T
しかし、名君の安東堯季が舜季に娘を嫁がせた、か
都合よく堯舜が揃うとは思えないから、どちらかが改名したのかな
そして自らを堯舜になぞらえて、統治に励んだのだろうか
208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:30:26 ID:zA0YRgQt
こんなにおもしろい東北勢なのに
ちょっとでかい図書館へ行っても
ろくに「資料」がないんだぜ
209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:41:18 ID:pyrss1w3
まったく人の名前ってのは難しいのう…。
いつも愛の読みだけ忘れてしまう。
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:54:18 ID:CnynYTKf
めごでいいよもう
211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 18:56:48 ID:gYH2PN56
政宗さんまで絡めるなよw
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 19:15:57 ID:CgmUIh3W
同じ東北でも、近隣の資料とかないんだよな・・
仙臺(台)叢書見ようとしたら、ページ開けるか怪しいぼろぼろ本が出てきたり
和綴じ本出てきたこともあったし
関連
2つの安東氏~檜山と湊~ その1:ほんのちょっとだけ義満の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その2:南部氏の悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その3:安東政季の(諦めの)悪い話
2つの安東氏~檜山と湊~ その4:安東愛季の悪い話
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コメント
人間七七四年 | URL | -
スレ主さん乙ですよ!安東家の事は分かり難いと思ってたので、非常に有難かったです。
( 2010年06月05日 02:50 )
人間七七四年 | URL | -
乙です!おもしろかったです
( 2010年06月05日 08:56 )
人間七七四年 | URL | -
長編乙!
安東さんはなかなか逸話が見つからないんだよなあ
ドロドロしてたけど、とても面白かった
( 2010年06月05日 11:24 )
人間七七四年 | URL | -
詳しい説明をありがとうございます、スレ主さん!
こうやって一連の流れを見ないと、分からない事って多いのね
( 2010年06月05日 18:24 )
人間七七四年 | URL | -
家系図見ながらでないと着いていけない。
( 2010年06月06日 21:24 )
人間七七四年 | URL | 9DD8ZWDM
愛季公は事跡は残っているものの、個人的なエピソードとか発言みたいなものが残ってないみたいなので、ファンとしては寂しいですね。
( 2010年06月08日 07:15 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
里見義尭・里見義舜(後の義弘)「呼んだ?」
( 2011年01月04日 13:57 )
人間七七四年 | URL | -
もっと研究進んでいろんなことが分かるといいな
( 2016年10月02日 15:10 )
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