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2つの安東氏~檜山と湊~ その4:安東愛季の悪い話

2010年06月05日 00:01

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 07:34:48 ID:xMVYQ+Sg
2つの安東氏~檜山と湊~ その4

米代川を中心とした肥沃な地帯を掌握した檜山安東氏と
湊安東氏は境界で度々衝突を始めるようになった。

鉄船庵の法名を持つ九代目湊安東氏・堯季はこの問題を解決しようと
忠季の孫に当たる檜山安東氏・舜季に娘を嫁がせた。
この堯季は官僚細川氏から謹上書衆にも遇されている。
一方で舜季も蝦夷の視察に繰り出し、統制を再び固めたのである。

しかし不幸にもまず名君と呼べる堯季には男子がいなかった。
為に娘婿である檜山安東・舜季の三男・茂季を養子に迎え入れたのである。
さらに舜季はこの茂季に蠣崎季広の六女を娶せ、檜山・湊・蠣崎の紐帯を太く固めたのである。

しかしその舜季も天文二十二年(1553)、死没する。
檜山安東氏を継いだのは若干十五才の愛ちゃん……安東愛季であった。


嫡子と定められていた時から胸に秘めたるものがあったのか、愛季は次々と政策を打ち出していった。
能代の湊を整備し、新しい町をつくり、それを起点に越前の朝倉氏と交易を結び日本海に自身の基盤を打ち立てた。
さらに関東管領に上杉輝虎が就任したとみるや直ぐさま使者を派遣して結びつきを強めた。
浅利氏を謀殺し比内を掌握、一度は鹿角郡を南部氏から奪うことにも成功した。

若さと才気に溢れる愛季は長年南部と結びつきの強かった浪岡氏(北畠氏)に自分の娘を輿入れさせた。
これは浪岡氏を南部氏から切り離す為だけの政略ではなかった。
浪岡氏は長年中央との結びつきが強く、その為に南部氏も併呑はせずにいた存在である。
これを味方に取り込むことで愛季は中央(信長)との結びつきを手に入れることができるのである。

中央工作は幕府との繋がりの深い湊家の領分であり、愛季の行為はいわば安東氏連合における越権行為であった。
蠣崎氏も茂季に嫁いでいるとはいえ、元々檜山安東氏と繋がりが深く
さらに浅利氏暗殺や浪岡氏との婚姻の功績と称して愛季は抜け目なく季広の息子達を手元に置いていた。
そもそも茂季自体、愛季の弟である。
ここに至って湊家家臣団の愛季への対立は必然であり、永禄十三年(1560)、畠山重村らが茂季に謀反を起こす。
予期しない愛季である筈がなく、謀反は瞬く間に鎮圧、さらにこれを口実に茂季を湊城から引き離し、自らが湊城に入ったのである。



安東愛季の悪い話




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2つの安東氏~檜山と湊~ その2:南部氏の悪い話
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2つの安東氏~檜山と湊~ その5:檜山安東氏と湊安東氏の(仲が)悪い話
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この話だけ見ると、まるで謀反をして欲しかったような気もします。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    戦国時代では、ほんのちょっと悪いかもしれない話。

  3. 人間七七四年 | URL | 9DD8ZWDM

    愛季公の知勇冴え渡った良い逸話でござろう。

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