秋田実季と嫡男・俊季

2010年06月05日 00:02

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:21:35 ID:jU6RVhz4
1598年、秋田実季に嫡男・俊季が誕生した。
彼の母は細川昭元の娘で、秀忠の正室とは従姉妹の関係にあたる。

そして1602年、秋田家は宍戸に移封される。
実季は不満たらたらだったが、徳川家にも目論見はあった。
次代俊季と三代将軍家光とは又従兄弟となる。
長い目で見れば、北関東に配置して損はないだろう。

大坂の陣後、俊季が藩政を掌握すると、それは見事に当たる。
藤井松平家から妻を娶り、将軍家から譜代格の待遇まで受けた俊季は発奮。
連年割り振られる公役を積極的にこなした。
物心ついた頃から宍戸藩嫡子、俊季は完全な新人類世代だった。

と、こうなると面白くないのが父親の実季である。
親しい僧への書状には、
「今年もまた、将軍御上洛に俊季がお供します。財政難はお察しください。
 大坂在番はともかく、此度の普請は未曾有の大規模。
 家の滅亡を招きかねず、本当に迷惑しております」
とまで書き、露骨に俊季と幕府を批難。フラグを立てる。
俊季も藩政にうるさく介入する父に反抗し、
「以後は凍蚓(実季)様に公務への口出しをさせないこと。皆、よく心得ておけ」
と政界追放を宣言。
ついに親子の対立は、実季自身が「和漢に比類なく」と表現する最悪のものとなった。

決裂から二年後の1630年。実季は伊勢への物理的追放を、幕府より申し渡された。




188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:29:05 ID:57z5U14z

>>187
同じような世代の細川忠興が、息子に対して幕府への奉公をむしろせっついているのに比べると、
はやり視野が狭いと言う印象を受けるな>実季

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:31:02 ID:/KBF0XII
そしてもう一人の自分と向き合う時間が始まるのか

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 07:28:12 ID:xMVYQ+Sg
>>188
俊季のバックには湊安東氏がいるんだから、檜山安東氏である実季は自派閥の人間を守る為に対立せざるを得ない
俊季が毎年のように幕府の公役を務めて藩政が赤字だったのは確かだし
根が深いんだよ、檜山と湊は。どっちも正統じゃないし……
さらに三春藩のお家騒動は宍戸以降の新参組と実季の側室である荒木氏が結びついて三すくみになるし。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    このスレ・まとめで名前見ただけで笑える代表格が小田さんなら、名前だけで鬱になる代表格は秋田さんですな(あと駒姫)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    名前だけで戦慄するのは森武蔵かw

  3. 人間七七四年 | URL | -

    名前だけで陰惨なイメージな大関さん

  4. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    となりの笠間にすんでたが宍戸ってなーんもないぞ
    公務に耐えれる財政だったのかなぁ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    笠間も宍戸も当時は結構開けた土地だよ
    佐竹時代には有力な諸侯がそれぞれ存在したし

  6. 人間七七四年 | URL | LmMdU2V.

    宍戸はけっこう開けた土地だったようだよ。
    今は街の中心が友部駅の方に移ってしまっているけど、すでに鎌倉の初めごろ、宍戸城(江戸時代以降は宍戸陣屋)が八田氏によって築かれてる。

    ちなみにこの八田氏、みんな大好き天庵様の小田氏の本姓で、嫡流が小田氏を名乗り、庶流の1つが宍戸氏を名乗った。
    のちに毛利3本の矢の4本目となる安芸宍戸氏はこの更に分家。
    宍戸本家はのち佐竹に仕え、秋田にもついていったそうな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    秋田県ほぼ丸々かつ石高は安見積でウマー
    どこまでも秋田領!おまけに交易あり
    vs
    額面とんとんの関東内陸の小都市。

    そりゃあ秋田に帰りたいよなぁ。

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