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小松さんのとある日常

2010年06月06日 00:01

小松姫   
522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 01:07:18 ID:OjCUmnom
とある日常

桑名藩主として既に老境を迎えていた本多忠勝は江戸来訪の最中に突然真田邸を訪ねた
真田信之に嫁いだ娘小松は江戸人質として江戸にあったからだ
通常ならば手続き等々手間がかかるが流石は忠勝、アポ無し突撃である
予期せぬ父の来訪に小松は驚きつつも喜んだ
真田側には準備も何もないから邸内は急なもてなしに上へ下への大騒ぎであったのだが

帰途についた忠勝にふと従者が声を掛けた

「申し上げ難き事ながら小松殿の身なりは些か貧相に見受けられました。
 真田の内情は苦しいのでしょうか?」

これに忠勝

「ほう、お主は気付かなんだか?
 急の訪問であったが屋敷内は手入れが行き届いておった。特に武具の手入れは見事だった。
 身なりだけを見ていては地力を取り違えるぞ」


家計を遣り繰りした妻と広い視野を持った物わかりの良い舅のお話




523 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/05(土) 01:10:45 ID:wKrDME7X
でも真田なんて全く信用ならんところに
よく娘をやったよな。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 01:23:19 ID:Te7tWz/3
確か真田家の税率はかなり高いんだよね。
それでも装飾にはほとんど使われてなかったんだな。

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 01:38:50 ID:hAVNCoNd
>>524
この時代や江戸時代の税率って言うのが案外言葉のマジックで、例えば5公5民とか6公4民とか
言うのは検地の結果出た生産量である「本年貢」からの割合なんだけど、
通常農家の農業生産はこの本年貢の数倍から十数倍あったらしいのね。
で、その「本年貢」は、それぞれの領主の検地の厳しさによって量がかなり違ってくる。

なので下手すると「5公5民」の地域よりも「7公3民」の地域のほうが支払う年貢が少ない、なんて事
すらあった。

その地域が重税だったかどうかって言うのは、表向きの数字を見ただけじゃ解らないんだよね。

526 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/05(土) 02:27:34 ID:U1+2TTOx
それうちの大学が手広く研究してるらしい。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

     実家の、それもパパンが来たからじゃないかなぁ…質素な身なり。
    いざとなったら、質素な身なり+愛娘オーラでお小遣いゲットが狙えるけど、
    母親じゃかえって叱られるだけかも。
     

  2. 人間七七四年 | URL | -

    アポなしで来たんだから狙って質素な身なりとかできないと思うけど
    小松殿って良妻賢母だから日頃から節約生活してたんじゃないの

  3. 人間七七四年 | URL | -

    お話自体は小松さんの良い奥さんぶりが出てると思う。

    だが、小松さんと出た時点で「父親相手に何か荒事が起きるのか?」とwktkしてしまった自分が居る、やはり毒されて居る様だ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    千利休がアポなし(のつもり)で知人宅を訪ねて逆に機嫌悪くするめんどくさい話とは好対照ですな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    「K○MATSUは俺の嫁(キリッ)」
    「…って、伊豆守様…?」
    「前から言ってみたくてうずうずしてた。後悔はしていない(ビシッ)」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    そういや、某スレで真田は税率が周辺よりも高い分
    徴収する時に使う升が容量少な目になってたとか聞いたが
    そういった記録とか残ってるんだろうか?

  7. 人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    小松関係の話は、松代藩が財政難時、四代藩主の庶子を、本多氏へ養子に出す際、安い持参金で縁組みをまとめる意図で、創作された可能性が高い。
    小松と同腹の本多忠勝次女(家康外孫の奥平家昌室)の場合、子供二人生んだ以外、詳しいことは伝わっていないけど、むしろ、小松妹の方が忠勝愛娘扱いだったはず。
    本多は幕末時、新政府側に降るのが早かったから、反徳川の真田に行った小松が、忠勝愛娘扱いになっただけに過ぎない。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    こいつなんかの病気?

    人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    この逸話に対する疑問

    これ有名な話だけど、史料というか、研究家の解釈によって、豊臣時代の沼田は、独立大名領扱いだよね。
    もし、そうならば、小松は人質として、伏見にいた可能性もあるし、その話は後世の創作となるのでは?



    ( 2008年12月09日 19:18 [Edit] )

    人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    この話は…

    小松の逸話って、大半は義妹熊姫や家康長女加納御前のコピペじゃないかな。小松は実母の出自が低いから、現実的に家康への目通りは、叶わないはず。実のところは、武家の姫君ではなく、実母同様、平凡な侍女要員として育ったと思う。


    人間七七四年 | URL | SFo5/nok


    某雑誌の特集で、小松が良妻賢母として、愛姫より上位に格付けされていたけど、今の真田宗家当主は、愛姫の血を引く政宗の子孫。
    小松の良妻賢母説を、疑いたくなる。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    晩年の忠勝は隠居所へは、小松の母(乙女の方)と一緒に行ったので
    >平凡な侍女要員として育ったと思う。
    はないかな?
    (正室の於久の方より側室の乙女の方の方が付き合い長いし)

  10. 名無し | URL | SFo5/nok

    小松生母の乙女は、孤児なので、正式な側室の可能性は低い。
    側室=侍女と解釈する場合もあるので、忠勝の隠居所での乙女の立場は、あくまで女中頭程度のものだと思う。
    娘の嫁ぎ先は、生母の出自で決まるので、小松が幼少期から姫様として、育てられた可能性は、ないと見なすべき。
    松代藩真田氏の歴史は、フィクションだから、あまり間に受けない方がいい。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    病気みたい。あらゆるところで信之・小松殿sageを行ってる幸村か昌幸ファンのようだ。

    ※10
    小松殿の生母が孤児だったという記録、姫として育てられてない記録希望。

    >松代真田藩の歴史は、フィクションだから、
    あなたの妄想の中ではね。裏付け史料を下さい。
    いつも提出できてないですよね?

    コメント欄まで見る人は少ないだろうけど、こちらのブログは検索上位なので、こういう妄言の輩はどうにかしたい…
    妄言だけならまだしも、現在の真田家や松代の人々を貶めることを言っているので。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    よくわからんが、勝手に真田ageブログを自分で作ればいいじゃないか。
    人様のブログで吠えてないで。

    てか、ちゃんと人様のコメ読んでない時点でお察しだけど。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    どっからどう見てもコメ12が根拠のない妄言をはいてるだろう

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