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宇喜多秀家と矢野五郎右衛門

2010年06月07日 00:01

593 名前:sage[] 投稿日:2010/06/06(日) 20:38:14 ID:9Q28q30v
以前読んだ本にあった話だけどタイトル失念
ウロ覚えの部分はサイト検索で補完して投下してみる

関が原の戦場を脱出した宇喜多秀家公と家臣たち
伊吹山中を北上するうちに道に迷ってしまった
一方、近在の村々には触れが回って腕に覚えのある猟師たちが落武者狩りを始める
猟師たちのリーダーの名は矢野五郎右衛門
そして兵糧も尽きて二日間何も食べていなかった秀家公一行と矢野たちが山中で出会う
身なりを見て「これは大物だ」と思った矢野だったが何やら気後れして手出しが出来ずにいると
秀家公自らが矢野に話しかけた

秀家公「ワシは先の戦の副大将で権中納言宇喜多秀家じゃ。すまぬが湯漬けでも振舞ってくれぬか。
その後であれば引き渡すなり何なりと自由にせよ」
堂々と名乗り、何の気負いも無い自然な秀家公の声音に矢野は圧倒されてしまった
矢野「と・・とても討つことなどできぬ」
秀家公の威に感じ入った矢野は逆に匿う決心をし自分の家の穴蔵に案内した
矢野はリーダーになるだけあって猟師たちから信奉があったらしい
宇喜多一行が潜伏していることを誰も口外しなかった
秀家公と家臣たち数名は40数日間に渡り匿われた
一説によると矢野は元前田家臣で宇喜多家臣、進藤の縁戚にあたる縁で匿ったとも言われている

10月半ば、秀家公を重病人に仕立て乗り物を用意し大坂に潜入
備前宇喜多屋敷で愛妻、豪姫と奇跡の再会を果たす
進藤が秀家公自害の偽装工作をして徳川家の追及を誤魔化しと云うが
その辺りは講談などで美化されてて真相はよくわからない
とにかく秀家公は薩摩に脱出することとなった

矢野に感謝した秀家公は黄金(枚数には諸説あるそうです)を褒美として与えるとともに
「自分が他日、再起したときには必ず訪ねよ」と言って朱印状を渡した
その後、みなさん御存知の通り秀家公は八丈島に流罪となって朱印状が役立つことは無かったのだが
矢野家では大切に保管し秀家公の高貴な人柄を子孫に語り継いで行ったそうだ


話が出来すぎてる?
そりゃ子孫フィルターで多少の美化はあるだろう
だが全くのデタラメでない証として「朱印状」は現存しており
八丈浮田家と矢野家の子孫は今でも交流があるそうです

以上、中納言様が泳いで参ったら仕官するはずだった男の話




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    逸話なんだから、普通に良い話だと思う。
    当時の人達と今の人達の繋がり。こうやって交流が有るのは羨ましいです。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    いい話だね(o´ω`o)

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