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鍋島直茂の口伝

2010年06月21日 00:02

890 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 10:05:56 ID:5wJHgvnC
黒田家と鍋島家の間で国境を巡り訴訟が起きた際、鍋島家では有事に備え、国境の山へ家老の深堀新左衛門を
派遣し、「山内の者」と呼ばれる郷士を招集した。
集まって来た郷士たちは、みな襟に布切れを縫い付けていおり、不審に思った深堀は、山内の代官・鍋島普周に
理由を尋ねた。「もちろん理由のある事です。あれは私の先祖、六左衛門が……
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「お前は、わしの死後、勝茂に意見できるか?」山内を訪れた鍋島直茂は代官の鍋島六左衛門に問いかけ、
「仰せとあらば、いくらでもご意見いたしましょう。」六左衛門は毅然として答えた。

「よく言ってくれた。ならば伝えておくが、ここ山内の郷士は、もともと神代勝利の家臣だった外様の者だ。
よって、事あるごとに恩を施し懐かせねばならぬが、勝茂が山内に来て彼らに褒美など与える時、「勝手に配れ」と
事情も知らずに言う者が出るだろう。
その際お前が意見し、勝茂の目の前で与えるようにせよ。勝手に呑ませたところで、それはただ禄を食わせている
のと同じで、恩を与えたことにはならん。そういう者は勝ち戦に付き従っても、負け戦の時には助けてくれぬものよ。」


数年後、勝茂が山内で狩りを行い、勢子として山内の郷士を使った。狩りが終わると勝茂は、タライで手足を洗いつつ
「山内の者、今日は苦労だった。酒など振舞ってやるゆえ、ここへ連れて参れ。」と命じたが、ある近習が、
「殿の御前で呑ませては、郷士たちも恐縮して楽しめますまい。酒樽ごと与えて、勝手にやらせましょう。」と言った。
「それもそうか。よし、
「なりません!直に与え、御前で呑ませるべし!!」六左衛門が、勝茂の前に飛び出して叫んだ。

891 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 10:08:10 ID:5wJHgvnC
日ごろ温厚な六左衛門の強い口調にキョトンとした勝茂だが、我に帰ると手を洗っていたタライの水を頭からかぶり、
急いで衣服を改めると、六左衛門を上座に座らせ、その前に平伏した。
「この勝茂、ただいま過ちを申しました。なにとぞお許し下さい。」
突然の事にうろたえる六左衛門に、勝茂は笑って言った。
「お前が言ってくれたのは、父上のお言葉であろう。死してなお、オレを導いて下さる。さても有難いことだ。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「その後も勝茂様は、怠ること無く山内の者の動向に目をかけ、折に触れ礼服や小袖を、ご下賜なされました。
郷士たちは、その事を忘れまいと、古くなった下賜品を裁ち、端切れを襟に縫い付けているのです。」
「なるほど。ようやくご当家の恩も染みたというわけですか……」


国境訴訟は鍋島家の勝訴に終り、佐賀に帰った深堀は同僚の鍋島庄兵衛らに、山内の郷士のことを語った。
「そういう事だったか。実は綱茂様(勝茂ひ孫)家督相続の際、山内の者が挨拶にやって来たので、酒を振舞うことに
なり、わしが綱茂様にお聞きした。
『酒は御前で与えましょうか、それとも勝手に呑ませましょうか?』
『当然、わが目の前で呑ませよ。この事、お家安泰の秘訣であると、父上から口伝を授かっておる。』



父の日を記念して。オヤジに、敬礼。




892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 16:44:29 ID:622QiC02
決死の覚悟で諌言したら主君が水を被って土下座して来たでござる

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 17:03:58 ID:mAUw7NfN
主君にも、家臣の方にもきちんと受け継がれてるってのはいいな。

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 18:10:28 ID:lP3jfRbe
しかし勝茂も物分りのいいことだ
よく察したものよ

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 18:58:00 ID:1xhC6L/Y
>>893
他の三国に比べてマイナーだけど、薩長土肥の一角なだけはあって、維新を引っ張ってゆく下地は
あったってことなのかな

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 19:24:30 ID:MDQATC5M
肥前の真骨頂は維新じゃなくて維新後だな
幕末で人材を失わなかった分、明治初期を支えた人材が豊富
藩に拘らず登用した木戸も偉いが

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 20:48:03 ID:aisd6KjM
近代化にがんばってたじゃないか。軍事じゃあアームストロング砲とか持ち出したりして援助したし
手法が強引だったから大隈重信がブーブー言ってたけど

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 21:42:41 ID:QVUlAqee
>>898
アームストロング砲は砲身が佐賀の建造した反射炉じゃ製造できないんで、
保有そのものは輸入の可能性があるんで別として、自作はかなり眉唾とされる
ぶっちゃけ戦場に意義のある数を投入できるほどの数を保有してたか疑わしい

実際には四斤山砲クラスの量産と保有が関の山だったんじゃないのかな
アームストロング砲云々は後から背びれ尾鰭がついた話なんじゃないかと

ただし、それでも当時の日本じゃ他藩の追随を許さないレベルだけど
901 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/06/20(日) 22:20:42 ID:QZo9TtC5
>>900
山砲でも大砲を作れたのは凄いことだ。

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 22:45:52 ID:Oe4EYBGz
とにかく維新回天の世の流れを作った他の三藩とは違って戊辰戦争の戦力として重きを為したが故に
薩長土肥と並び称されるようになったという意味では、ちょっと独特な存在感ですよね。

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 22:46:25 ID:0vuNChVz
>>900
佐賀の藩校では西洋式軍学を相当前から教えてたんだっけ?
うる覚えなので聞いてみた

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 22:48:07 ID:mySbNpo8
フェートン号事件とかあって、海外に対する意識はトップクラスではあったみたいだな
あと黒船後に江戸幕府に大砲を頼まれてるとか最近読んだ本に書いてあった…ってそろそろスレチか
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    南部は大砲三百門鋳造していたらしいが。
    ただし、
    弾薬は足りてなかったらしい。
    さすが南部w

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >管理人さんへ
    895番は違う話だと思われます。

    しかし、鍋島さん家の話は何時も教育的話が揺るぎないですね。
    どっかの息子や孫の代で改易食らったり、バ○殿出した大名達に
    爪の垢でも煎じて欲しい位です!良い話を有難う~。

  3. まとめ管理人 | URL | wZ.hFnaU

    ※2
    ご指摘ありがとうございます。直しておきましたー

  4. 人間七七四年 | URL | -

    明治初頭まで鉄製の大砲製造設備が佐賀藩にしか無かったようで、
    幕府や親藩・長崎用に卸た鉄製砲が200門、70門程を自家用や試作・贈呈用に製造。
    青銅砲も合わせると400門は作っていて、旧式の青銅砲は佐賀藩製雷管式ゲーベル銃と一緒に諸藩へ売却していたみたい。
    あと、アームストロング社製の砲は最低でも40門は所有していたけど、
    アームストロング砲なるものを独自開発したのかは不明。

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