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ご先祖様、己の身命をもって

2010年06月22日 00:00

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 01:54:35 ID:EgyJUrxS
時は慶長二十年五月六日。
戦国時代の完全な終結を告げる大阪夏の陣の最中のこと。

この日の道明寺や八尾・若江の戦いに続き、翌日には豊臣軍と徳川軍の決戦が予期された。
天王寺口の徳川方先鋒大将は浅野長晟が予定されていたが、この日の会戦で少なからず損害を受け、
茶臼山方面へと下げられて代わりに本多忠朝がその任に当たることとなった。
忠朝にとっては念願の先鋒である。
喜び勇んだ忠朝はその夜、天王寺口第二陣のガラハゲ二世こと小笠原秀政の陣へと足を運んだ。

「ねんがんの うちじにのきかいを てにいれたぞ!」
「ころしてでもうばいとる」

兵力はこの正面に展開した徳川軍十五万に対し、豊臣軍は最大でも七万である。
だというのに、杯を交わすこの二人の将は討ち死にのことしか考えていなかった。
もちろん、それには彼らなりの理由がある。二人とも、この大阪の陣の間に拭いがたい恥辱を受けていたのだ。

忠朝は冬の陣の際、主戦線ではなく戦闘の発生しにくい今福に配され、配置換えを具申して家康に疎まれたと言う。
或いは、深酒が祟って合戦に遅参し、激怒した家康に面罵されたとも言う。
小笠原秀政は秀政で、夏の陣において自軍の進軍の遅れから秀忠にその怯惰を諸将の前で面罵され、
信濃の父祖の地死守のためにも生命をはなから捨てた働きをなすことを余儀なくされていた。

果たして翌日、死に物狂いの突撃を敢行する豊臣方毛利勝永の軍と本多、小笠原両隊は正面から激突する。
互いに死の物狂い両軍は一歩も引かない交戦を演じ、結果として本多、小笠原両隊は主将討ち死にという形で
壊滅した。

この時の二人の死は、決して無駄にはならなかった。
結果として家康本陣まで豊臣方の突入を許したものの、討ち死にしてまで身を盾にしたのはこの二人だけ。
家康は涙を流して忠朝の兄忠政に「忠朝の死を無駄にしないように」と命じた。
兄忠政の家系が絶えた後、特に許されて忠朝の家系が少録ながらも大名本多家再興を許されたのは
無関係ではないだろう。

小笠原秀政の系統も度々断絶の危機を縁者の相続許可によって特別に許され、
その温情を受けた上で宗家が絶えた後も次男の家系が唐津六万石を得て老中を出す栄誉に授かった。
その配慮の数々は、父祖の勲功、すなわち秀政が身をもって家康の盾となった故とされる。


ご先祖様、己の身命をもって子孫の危機を度々救うというお話。




906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 02:13:23 ID:GK98L9UA
小笠原の本家は基本的に幕閣出せない家だしなぁ。

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 19:57:40 ID:lpF0lWJY
彼らの奮闘あっても旗奉行は旗を倒した

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:14:11 ID:+2uxxZe/
小笠原秀政って家康の影武者といわれている人物だよな?
事実を知ってる幕臣なら小笠原家を無碍にはできんわな。
でもなんで唐津にうつしちゃったんだろ?

909 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/21(月) 22:32:29 ID:DTqHZ9Tv
大失敗した(弱い)大名に正面を預けるって、
危なくないか?

911 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/06/21(月) 22:50:54 ID:GNreA7DL
>>907
本多の面倒くさい爺様「倒れておらん!旗は倒れなかった!」

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 22:55:05 ID:s76c9VdC
>>911
彦左「き!きさま!わしの姓をあんな鷹匠上がりのものと間違えたな!?」

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 23:20:05 ID:5Cc2AET6
数日後、又一と共に死装束姿で彦佐と面会する>>911の姿が…

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 23:43:05 ID:Jj6Ph2uo
>>912
松平家忠「彦左がまたキレよったか・・・」
夏目吉信「フン…やつは三河武士文豪三銃士で一番の小物…」


915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 00:02:43 ID:kVq3mY4/
>>912
本多の面倒くさい爺様と言うのは佐渡守ではなく鬼作左でござるよ。
山岡荘八では仲良かったではござらぬか。
許してあげなされ。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 01:28:13 ID:DeyuEhHP
かんちがいも、さくざがしかる

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 02:40:42 ID:Bq+62bzK
>>910
本家が小倉。唐津は分家。

小倉藩は九州総目付の役割があるんで基本的に幕閣を出せない。
6代藩主だかが老中を目指して猟官運動した時に藩内が二派に分かれて
黒田藩やらを巻き込む大騒動やらかして取り潰されなかったのは
秀政・忠脩の活躍が大きいかと。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 12:53:19 ID:i3aKJLJz
>>909
事前の戦闘計画がどーなってたから分からんから何とも言えんけど、
包囲殲滅を狙ってたとしたら正面は柔らかいほうがいい。
カンネーでハンニバルが正面にガリア人を配置したのと一緒。

935 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/23(水) 15:19:37 ID:+ac/qmHm
肉を切らせて骨を絶つって作戦ですな!
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    小笠原貞慶「ねんがんの 一張弓を てにいれたぞ!」

  2. 人間七七四年 | URL | GYFHHins

    ↑「殺」してでも うばいとる

  3. 御神楽 | URL | dvUYBDnY

    あ やせいの ひこざえもんが とびだしてきた!

  4. 人間七七四年 | URL | -

    いえやすは にげようとした しかし まわりこまれてしまった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    時空警察じゃあ、その小笠原秀政が徳川家康に成り代わってたよね
    実は大坂夏の陣で家康は死んでいて、秀政が家康の代わりに~

    理由は「肖像画がない」のと「死後、御家の石高が増えてる」ってだけなんだけど

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