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大谷吉継の懸念

2010年06月24日 00:00

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 19:32:32 ID:DjEoIVR/
慶長五年(1600)6月21日、
徳川家康の上杉征伐に合流するため美濃、垂井の宿にあった大谷吉継。
それそ聞いた石田三成は家老樫原彦右衛門を吉継の元に差し向けた。

樫原より三成が挙兵を計画していると言う事、その相談のため佐和山に来て欲しいと言っていることを
聞いた吉継は、しばらく考え込んで、こう言った

「内府(家康)の政務に私が有ると言っても、それは世を覆すほどの邪にはなっていない。
わたしは心にそう思い、人にもそのように言ってきた。その事があるので、友人で有る三成のこ
のような申し出にどうするべきか迷っている。

今回上杉景勝殿はじめ多くの者達の謀により内府を引き出したこと、その智謀勇ましきところで有る。
そうは言ってもそれで事が成功するかといえば、いささか疑い無きにあらず。

お前もよく知っているように、治部少(三成)は器量のある人間ではあるが、憎む輩、世に大変多い。
これが治部の過ちのためか、それとも嫉妬であるのか、そこは判断しかねる。
が、いずれであったとしても、もし治部が今回味方の諸将に対して、人もなげなる行為をするような
事があれば、それまでのイメージから言っても間違いなく人々の神経を逆なですることになる。

願うなら、(宇喜多)秀家卿か(毛利)輝元卿を主将となし、景勝卿と良く申し合わせて東西より内府を挟み
勝負をつけるようにするべきだ。それならば内府の滅亡もありうるだろう。

が、もしこの言を用いず、治部少が表に出て主導しようとすれば、上杉がたとえ数ヶ月内府を足止めしたとしても、
その連携がスムーズには行かず、さらに内府が会津を捨てて上方に攻め上がってくるような事態になれば、
味方の軍も危ういことになるだろう。

良いか樫原彦右衛門、挙兵するにしても治部少は絶対に表に出てはならぬと、このむね石田家の重臣一同でよく相談し、
治部少に諫言するのだ。わしもこの事は後でちゃんと言っておく。」

そう言付け樫原彦右衛門を帰した。


このようなことがあったにも関わらず、三成は挙兵すると、宇喜多秀家、毛利輝元が大阪に着府するのを待たず
その身一人で、「したり顔」にて大阪に駆け上がったと言う。この事で少なくない大名、小名が家康に従うことを
決めたとも言われる。
ちなみに長束正家はこの日、共に大阪に上がることを三成から誘われたが、正家は
「秀家卿、輝元卿がまだ到着されていない以上遠慮する」
と断ったそうだ。

大谷吉継の懸念、現実になるというお話。

しかしそこの重臣と「お前もよく知っているように三成は嫌われ者だから」と言う会話が成立する
三成という人間もよっぽどのものだな、とも思ったw




539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 19:44:43 ID:avbthBNd
前線を左近を筆頭に家臣に任せて、後方支援裏方兵帖作業を長束と一緒にやってれば、
治部の政務能力的に合致してできたと思うんだけどなぁ。

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 22:56:51 ID:joZyG2yA
旗頭も名目上の総大将も誰も前線にいないんじゃダメだろ。


541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/23(水) 23:25:22 ID:MbvzIasE
采配面で誰もが納得する大将にすえれる奴がなぁ。

輝じゃな…
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    前田獲得失敗、
    清洲取れない、
    岐阜取られた。
    この時点で終わってる。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この話って良く良く読んで見ると吉継による説得話が抜けていて、もう挙兵に参加している様な書き方ですね。個人的には島津の撤退時と言い、長束さんの株がまた一つ上がった話でもありました。

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