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町人、佐野四郎右衛門の義侠

2010年06月29日 00:00

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 22:36:01 ID:bpDOvLfE
市川茂右衛門と加藤甚九郎は、鳥居元忠の家来であった

慶長5年(1600)彼らは関東の元忠の所領にいたが、蜂起した石田三成等の軍勢により
元忠のいる伏見城が囲まれたということを聞くと、取るもの取らず、急ぎ伏見に向かった。

ところがその手前に大津城主、京極高次によって関が設けられ、怪しいものが通らぬよう
人改めをしているという話が聞こえてきた。
そこでこの両人は急ぎ出家の姿になり、わずかばかり覚えていた経文をとなえ、
これによりどうにか関を通過した。

だが伏見城は西軍に厳重に囲まれ、どうにも入城する方法がない。
そこで二人は京に上り、鳥居元忠が常々懇意にしていた、佐野四郎右衛門と言う
町人のところに行った。

「我々は、どうにかして伏見城に入りたいのだ」

伏見城は大軍に囲まれ援軍の当てもなく、誰が見ても落城は時間の問題であった。

それでもなおこのように言う二人に、四郎右衛門は感動し、両人のため具足、槍、薙刀を用意、
密かに城内と連絡を取り、7月末日の夜、二人は無事、入城に成功した。

彼らは鳥居元忠と共に討死し、見事本意を遂げた。

また、この佐野四郎右衛門は、伏見落城の後、大阪で獄門に掛かっていた鳥居元忠の首を
盗み出し、京に持ち帰り葬儀を行ない、さらに知恩院の寺内に龍見院という寺を建て、そこで
元忠の霊を厚く弔った、とのことである。

町人、佐野四郎右衛門の、義侠についての逸話である。




970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 22:49:34 ID:FuDqvqoT
>>969
出家の姿になり、というのは
頭も丸めたという意味なのかな。

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 22:51:13 ID:bpDOvLfE
>>970
そういうことですな

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 23:29:04 ID:EtqXN1hS
>>969
家来も天晴れとしか言えん奴らだな
イイハナシダー

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 23:42:33 ID:92jvn3n7
面倒臭い三河武士のことだから伏見城に入城した時に「何で殿の元へ行かなかったのか!」とか言われてそう。

974 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/28(月) 00:16:43 ID:jGVV42iW
この者達の子孫は厚遇されているの?

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 00:51:09 ID:v+SPD03B
>>974

東照大権現「お前たちも自分の子孫が可愛いか!?」

976 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/28(月) 00:57:39 ID:byBVe5DO
>>969
名のある武士にも出来ない事をやってのけるとはスーパー町人だなあ

977 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/28(月) 09:39:20 ID:8iggxO7F
鳥居勝商はその辺の武将と同程度の立派なお墓だったが
子孫がどの様に扱われていたのだろうか?

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 12:52:52 ID:9VyHiFu3
鳥居勝商の子孫は奥平信昌の四男、松平忠明を祖とする奥平松平家に仕えた。
1500石だから大身だね。
奥平家にとっても家運を開く合戦だったわけだし墓も立派になるさ。
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