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金汝フツの討死

2010年07月11日 00:00

申リツ   
124 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2010/07/10(土) 17:19:10 ID:Mu2xAhpC
この話に出てくる申リツの部下に金汝フツという人物がいた。
金汝フツはこの戦いの直前まで党争に巻き込まれて獄に繋がれていたが
戦功と引き換えに免罪という特命が下され、獄から出された。

出獄した汝フツは戦地に赴くべく旅装を整え、家の下僕たちに問いかけた。
「誰か余と共に出征する者はおらぬか?」
殆どの下僕達が汝フツの子息金相ルと非難することを望み、尻込みした。
が、一人だけ共に行くと申し出た下僕がいた。
この下僕は大変な大食漢であり、他の下僕の料米が七合だったのにこの下僕だけ一升だったという。
「私めは平素より一升もの料米をいただいております。
 このような時に役に立たず、いかがいたしましょう。」
こうして下僕は汝フツの馬を引いて戦場へと向かったが、その姿は恰も楽土へ向かうようであったという。

戦況は悪化し、申リツ率いる朝鮮軍は弾琴台で背水の陣を敷き、日本軍を迎撃することにした。
が、女真族との戦いで活躍した申リツも鉄砲の前では無力だった。
武威を奮う暇もなく朝鮮の兵たちは倒されていく。

この時金汝フツは軍装に身を固め、、腰に剣を佩き、背に箙を背負い
左手には決拾と角弓を掛け、右手で状啓(国王への報告書)を書いていた。
その筆遣いは流れる風のごとく、下書きなしで書き上げた。
その文は詞理共に申し分なく、書き上げるとすぐ封をして朝廷へ送り、さらに子の相ルへの遺書も寄せた。
「三道の徴兵、一人もいたる者なし。吾輩にはただ死あるのみ。
 男児国に死するは固よりその職なり。但し、国恩未だ報ぜず、壮心いまだ成らず。
 只、天を仰ぎて噓気するのみ。家事は惟れ汝に在り、吾れ復た言わず。」
この後汝フツは馬を駆って敵陣へと突入し、一人奮戦するも遂に倒れた。

件の下僕は乱戦の中で主人とはぐれ一度は退いたものの、弾琴台周辺で弾丸が飛び交うのを見ると
「自分の命を惜しみ、ご恩を忘れるとは情けなや。」と再び短槍を手に戦場へと掛けていった。
日本兵に押されては押しかえし、満身創痍になって遂に弾琴台の下で主人の屍を発見した。
下僕はそれを背に担いで運び出し、ひそかに山際に埋めたのだった。

屍は後に掘り返され、金汝フツの先祖が眠る土地へ埋葬しなおされた。

―噫、僕と主の間の義が何ぞ限りがあろう。この下僕の如き忠勇の者は又とない。
 士は己を知る者のために死に、女は己を悦ぶ者のために容づくると言うが
 この下男の死を見ること平地の如くであったのは、決して一升の米のためでなく、義気に激したからこそである。
 そもそも僕を御する道は、義によってこれと結び、恩によってこれを感ぜせしめ、
 平素においてもその死力を発し得るようになってこそ、危急の際にも恃みとすることができるのだ。
 金公はまさにその道を会得していたと言えよう。
 士大夫が朝廷の禄をはむこと長きにわたるも
 この板蕩の時に奮忠敵愾の心なき者は金公の下僕に恥じずにおれようか。

『青邱野談』「弾琴台忠僕収屍」



ちなみに金汝フツの息子金相ルは後に出世し、朝廷の重鎮となった。
1642年に家康を祀る日光東照宮の扁額と詩文が朝鮮に求められた時
相ルは父のこの死を理由に詩文の揮毫を拒んだ、という話が『仁祖実録』に残る。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    二行目の「汝屻」も「汝フツ」に直したほうがいいんじゃないかな?

  2. 御神楽 | URL | -

    良いね、こういうストレートなのって。

  3. まとめ管理人 | URL | -

    Re: タイトルなし

    ご私的ありがとうございます。直しておきましたー。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    オチが「恨」かよ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    下書きなんてあるのか?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    …子息金相ルと非難することを望み、とあるのは「避難」の誤変換なのかな?

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