FC2ブログ

その後の本多(弟)

2010年07月20日 00:00

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 15:37:07 ID:aLMA7Mta
その後の本多(弟)

本多三弥正重は、兄の佐渡守正信と同様、若い頃に徳川家を出奔して渡り奉公を続け、天下に武勇をもって知られた。

が、兄と違って放浪生活が人間を変える、などと言う事は無かったようで、帰参した後も、その反骨心は絶好調であった。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3685.html

慶長19年(1614)冬、大坂の役が起こると、家康は後継者である秀忠の武略を不安に思い、黒田長政・加藤嘉明等、
歴戦の大名を秀忠の側に置いたり、多くの古強者を秀忠隊に加えたりした。

「この際だ、三弥もくれてやるか。あいつも歴戦の男ではある。」
とは言え、三十代前半の秀忠と、老いてなお反骨心旺盛な三弥の仲を心配した家康は、特に秀忠に
「あいつは、『ああいう』人間だから。なんかあっても、一度はワシに免じて許してやって。」と、言付けしてやった。

ところが戦後、三弥は秀忠に功を賞されて加増を受け、家康をして『あいつに大名はムリ』と言われた男が、
下総舟戸一万石の大名格となった。家康は大いに三弥の加増・昇進を喜び、三弥を呼びつけた。

「いや~、おまえが秀忠にガマンできるとは!人間、いくつになっても成長できるもんじゃ!」
「当然にござる。上様(秀忠)は、実に仕え甲斐のある、素晴らしいお方。あのような方に対してヒネてみせるのは、
逆臣かキ○ガイのする事です。」(え、じゃあワシは……?)

言うだけ言うと、三弥はスタスタと退出した。
「…あれは『病気』じゃから、もう一生治らんのぅ……。」さすがの家康も、あきれて苦笑するしかなかった。




963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:23:27 ID:LmW6tjVh
むしろ清清しいなw

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:27:40 ID:1My7Mk+A
>>962
なんでだろう。殿いつの直江が頭に浮かんだ・・・

てか三河武士って全体的に家康の息子や孫達には甘いような気がする
特有の面倒くささは時代や世代的なものなのかね

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:34:22 ID:3u0plkmF
面倒くさいおっさんだからこそ、目下には甘いもの。

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:37:46 ID:2ej5vrbC
ぶつくさと憎まれ口を叩きながらまんざらでもない顔をしているのが目に浮かぶ。

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:39:28 ID:Bi/+I+1l
秀忠だと諫言するとあっさり頷きそうだし、反骨しがい無いように思える。これが家光相手だったら、険悪になりそうで
いくらでも反骨しそうだが

大久保彦左衛門は、秀忠のことをどう評してたっけ?

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:46:40 ID:LH4oBkbK
反骨っていうのは権力者に対してするものだろ

秀忠は家康の傀儡とみなしていたのでは
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    つまり三河武士=ツンデレって事か!?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    秀忠も武略に不足あるのわかってたし、家康がつけてくれたものだから
    戦については名に言われても素直に従ったんだろう

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/4431-e51466b9
この記事へのトラックバック