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秀吉、安国寺恵瓊にドッキリ

2010年08月19日 00:01

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 22:07:09 ID:SSznzkq0
天正10年(1582)6月4日、備中高松。
毛利家の安国寺恵瓊と大知坊という陣僧は、清水宗治切腹などの、講和条約に関する
起請の交換のため、羽柴秀吉の本陣に向かっていた。

と、本陣まであと1町(約100メートル)程のところに、編笠をかぶり杖をついてそこに寄りかかっている、
14,5人の兵を引き連れた男が立っていた。

恵瓊は怪訝に思ったが、毛利家の使者でもあり、秀吉に会い講和条約が成る前に
織田軍のものに頭を下げるのもどうかと考え、挨拶もせずその男の前を通りすぎようとした。
その時その男が突然大声を発した

「その方は毛利家の陣僧であるか!?我は羽柴筑前守にて候!!」

秀吉だったのだ。

恵瓊は大いに驚き、これが本当に秀吉かどうかと疑いもしたが、とにかく
「毛利の陣僧にて候」と、恐れ入り畏まったと言う。

どうもこの時秀吉、畿内では本能寺の変が進行している中、毛利家の使者が到着するのを
待ちかね、本陣からここまで出張ってきていたらしい。
そんな秀吉の気の焦りが生んだ、安国寺恵瓊への水戸黄門的ドッキリのお話。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    安国寺恵瓊は秀吉の顔を知っていないとおかしいよね。
    かなり前から織田に藤吉郎という面白いのがいるって毛利家に情報流してたよね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    写真もビデオもない時代ならこんなものじゃないかな。
    秀吉の行いを知っていても本人を見たことがあるとは限らないし。

  3. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    ちょっとワロタw

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >米1氏
    秀吉は信長の重臣となったのだから、ある程度の認知度は他家でも有った事でしょう。しかし、戦をしあっている中の他家の重臣の顔を見れる訳は無い。
    恵瓊は外交僧ですから自然と情報は集め、集まるでしょう。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    会ってはいると思うけどなぁ
    秀吉は京の政務官?だったときもあったし
    この時は対毛利戦まかされて5年も立ってるし
    いろいろ交渉してるでしょ

    ほかにも恵瓊つかまえて宇喜多の人質交換したりしてるしw

  6. 人間七七四年 | URL | -

    単純に編笠で顔が見えなかったんじゃないかな?
    俺はそう思った。

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