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肥前後藤家概略、そして後藤又兵衛異聞?

2010年08月20日 00:00

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 23:51:56 ID:9xI26xk6
東肥前で龍造寺氏が台頭してきた時代、西肥前では有馬氏、大村氏、松浦氏と言った
辺りが勢力を持っていた。

永禄六年、武雄の豪族、後藤純明と松浦肥前守が同盟して、有馬、大村の軍と戦にな
ったのだが、後藤勢は大敗。大村純忠の子を養子として後藤貴明と称し、家督を継が
せた。

後に貴明は平戸氏(平戸領主、松浦氏?)から養子を貰い、その養子、惟明に家督を
譲って隠居した。
しかし、隠居後に実子、晴明が生まれると惟明との仲は途端に険悪になる。

惟明による貴明暗殺の陰謀が噂されると、今度は「殺られる前に殺れ!」とばかりに
貴明側が殺気立って武具を用意する。
結局惟明は実家を頼って平戸へと逃れ、貴明は平戸勢に対抗する為に、龍造寺家との
同盟に踏み切る。

同盟の条件は隆信の息子を後藤氏の養子とするコト。
そして同時に、貴明の息子晴明も龍造寺氏の養子となっている。


以上、『肥陽軍記』にある肥前武雄領主、後藤氏の概略。
後藤貴明を大村純忠の子としてあったり、通説とは大分食い違いがある記述なのだが、
コレに続く一説にちょっと驚いたと言うか笑ってしまった。


「平戸に帰った後藤惟明の息子を又兵衛基次と言い、黒田長政に仕え、高麗にまで響
く高名を挙げたのだが、後に浪人となり、大坂の陣で討死したのである。」


……え?又兵衛って平戸出身? 大殿の頃には黒田家に居たよね?
いや、確かに肥前後藤氏と播磨後藤氏は同族らしいケド、あまりと言っちゃあんまり
な混同っぷりに笑ってしまった。

あ、ちなみに龍造寺家の一門となった貴明の息子はその後、狂気によって取り潰し。
後藤家を継いだ隆信の息子は、政家の時代に龍造寺姓に復したと言うコトで、
肥前後藤家の嫡流はココで途絶えてしまったようです。





539 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [] 投稿日:2010/08/18(水) 23:54:48 ID:QQv7ibNc
違う意味で悪すぎる話、乙に御座候。

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/19(木) 01:08:25 ID:CSi9N5uY
>>538
武雄出身だけども、思いっきり武雄鍋島藩で通ってるもんなあ、後藤氏ってつい最近まで知らなかった
幕末の蘭学とかなんとかその辺プッシュがでかいからしょうがないところとかあるけども
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    こうやって見ると、武家ってのはやはり血より家なんだなぁと思えますな。

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