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鈴木石見と伊達政宗・いい話

2008年10月16日 00:30

366 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/05/05(月) 10:26:26 ID:V6rgTU/A
水戸藩初代藩主、徳川頼房の家臣に鈴木石見と言う人物がいた。
伊達政宗が江戸城に登城すると、控えの間に石見が居た。政宗が
控えの間に居る間中、じっと政宗を見つめていた。政宗は石見に
近づき訊ねた。
「なぜ俺をじっと見ている?何か言いたい事があるのか?」
石見は答えた。
「最近江戸ではどこかの大名が謀叛を起こす、と噂しております。
そこで大名の方々のお顔を拝見致しましたところ、謀叛を起こす
のはあなた様以外にいません。もし戦になれば真っ先にあなた様
の首をいただこうと、お顔を覚えようとしておりました。」
それを聞くと政宗は大笑いし、石見に言った。
「お前は大層な目利きだ。お前のような、勇ましい武士がいると
なれば、俺もうかうかと謀叛は起こせまい。気に入った、いつで
も俺の所に遊びに来い。お前とはもっと語り合いたい。」
政宗の豪胆さに石見は感じ入り、政宗とは真の友となって様々な
事を語り合ったと言う。




369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/05(月) 13:47:09 ID:sHa0RM4P
鈴木石見って鈴木重朝本人?それとも縁者か何か?

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/10(土) 14:41:41 ID:Q1kUKD9u
順番逆になっちゃった

>>369
重朝は伊達政宗に仕えているから当然政宗の顔は知っている。
その後水戸家に召抱えられる。
水戸の家老鈴木家党首は石見守を名乗っているから、
>>366は子と考えるのが普通。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | LmMdU2V.

    重朝の子孫は宗家が「雑賀孫市」を名乗ることになっていますが、息子の重次も重信も「石見」は名乗っていません。
    一方で、もと彦根井伊家に仕えていた「鈴木石見」が、井伊直継が上州安中に転封になる際、主家を致仕し水戸徳川家に仕官しているので、この話の人物はこの人かその息子でしょう。

    この系統も家老になっていますが(雑賀孫一の方は重次の養子重義が徳川頼房の末子なのでそれ以降は一族扱い、家老にはならず大番頭になる)、通字が「重」なのでおそらく一族かと。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    いまさらながらのツッコミ

    いまさらながらツッコミ。
    苗字が「鈴木」で通字が「重」というヒジョーに紛らわしいやつらですが、水戸藩家臣の鈴木(雑賀)孫一家と鈴木石見守家はまったくぜんぜん別系統の家系です。
    まあ、鈴木さんという大きなククリでは一緒かもしれんが、世の中に鈴木がどれだけいるのやら・・・。
    鈴木石見さんの家は、井伊谷三人衆とよばれたうちの一人鈴木重時の子孫。井伊家の配下で、つまりは三河武士。
    このエピの鈴木石見は年代からして、鈴木重好か孫の鈴木重政のどっちかでしょう。
    録は五千石で、家康に直に付けられた三河譜代の家臣なので、水戸家臣のなかでも序列は上です。
    鈴木(雑賀)孫一家は、有名どころだから書くまでもないでしょうが、紀伊の雑賀衆の一門。伊達へ一時仕えてたので、もと御屋形さまにこんな口はきけんでしょう。

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