838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 00:17:03 ID:fA2ewIfg
大阪の陣があった時のコト。
大野治長・治房兄弟の末弟、道犬斎治胤は堺方面に出撃、堺の町を焼き払った。
夏の陣が終わった際、彼は逃亡を試みるが捕縛されてしまった。
道犬が捕らえられたコトが世間に伝わると、堺の町衆はその身柄を引き渡すよう、家
康に要求、家康もそれを認めた為、道犬は堺へと連行された。
町衆の道犬への恨みは凄まじく、町と運命を共にした家族、友人達のように、生きな
がらに焼き殺すという復讐を遂げる。
浜辺に立てられた柱に鉄の鎖で括り付けられ、火あぶりとされた道犬。
道犬の身体どころか、木の柱までもが炭と化すまで火は燃え続けた。
火が消えた時、もう道犬の身体は炭となり、指も落ちてなくなっているという有様。
「これは流石に酷い……」
遠巻きに処刑を見ていた者達が近づき、道犬の遺体を降ろそうとしたその瞬間、炭に
成り果てていた道犬の身体が動いた!
身体を縛る鉄の鎖を引きちぎり、見物人の腰から脇差を引き抜くと、近くに居た者の
腹を突き刺す。
見物人を一人、道連れにすると道犬は力尽きたように倒れ込み、息絶えたという。
凄まじいまでの執念を見せつけた橙武者2号。
でも指がなくなってるのにどうやって脇差を抜いたんだろう?
863 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/08(水) 22:59:09 ID:p42YsdxP
>>838
火加減は重要ですね、火力が強すぎると外側は真っ黒でも
中身は生焼け、なんてことになりますからね、これは基本ですね、
どんなに怒りの炎で燃やしたくても、じわじわ焼くべきでしたね
関連
山本常朝「敵に首を打ち落とされても」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5172.html
大阪の陣があった時のコト。
大野治長・治房兄弟の末弟、道犬斎治胤は堺方面に出撃、堺の町を焼き払った。
夏の陣が終わった際、彼は逃亡を試みるが捕縛されてしまった。
道犬が捕らえられたコトが世間に伝わると、堺の町衆はその身柄を引き渡すよう、家
康に要求、家康もそれを認めた為、道犬は堺へと連行された。
町衆の道犬への恨みは凄まじく、町と運命を共にした家族、友人達のように、生きな
がらに焼き殺すという復讐を遂げる。
浜辺に立てられた柱に鉄の鎖で括り付けられ、火あぶりとされた道犬。
道犬の身体どころか、木の柱までもが炭と化すまで火は燃え続けた。
火が消えた時、もう道犬の身体は炭となり、指も落ちてなくなっているという有様。
「これは流石に酷い……」
遠巻きに処刑を見ていた者達が近づき、道犬の遺体を降ろそうとしたその瞬間、炭に
成り果てていた道犬の身体が動いた!
身体を縛る鉄の鎖を引きちぎり、見物人の腰から脇差を引き抜くと、近くに居た者の
腹を突き刺す。
見物人を一人、道連れにすると道犬は力尽きたように倒れ込み、息絶えたという。
凄まじいまでの執念を見せつけた橙武者2号。
でも指がなくなってるのにどうやって脇差を抜いたんだろう?
863 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/08(水) 22:59:09 ID:p42YsdxP
>>838
火加減は重要ですね、火力が強すぎると外側は真っ黒でも
中身は生焼け、なんてことになりますからね、これは基本ですね、
どんなに怒りの炎で燃やしたくても、じわじわ焼くべきでしたね
関連
山本常朝「敵に首を打ち落とされても」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5172.html
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コメント
人間七七四年 | URL | -
いくら逸話といっても
戦国時代の人間は現代の人間とは別種の生物な気がしてくるな
( 2010年09月09日 07:17 )
人間七七四年 | URL | -
他の動物に比べると人間の進化(環境への適合?)は割りと早いものだそうな
だから数百年続いた戦乱のうちに屈強になったり、またそのあとの治世で弱体化していたとしてもありえない話ではないかも
それにしても>>863のレスで笑ってしまったw
( 2010年09月09日 09:41 )
人間七七四年 | URL | -
しかし、これ堺の町焼き払う意味あったのかな。
( 2010年09月09日 09:58 )
人間七七四年 | URL | -
>3氏へ
絶対ではないのですが一つの説として、堺が徳川・豊臣のどちらに対しても態度を明確にしていなかった為に、豊臣側の不信感が有った。また、冬の陣に際して徳川方に物資を供給した事により復讐をされたとの説が有ります。
冬の陣時に、豊臣側から荒らされた経緯から気持ちは徳川側だった様ですが、大阪とは目と鼻の先なのでハッキリと去就出来なかった様ですね。
個人的には犬ころの配慮の無さと、勢いでやっちまったんじゃないのかな?とw
( 2010年09月09日 12:26 )
人間七七四年 | URL | -
「警護の兵を斬り倒した瞬間、道犬の体は灰となって崩れた」
…なんて言い伝えもあるんだよね。
話半分に聞いても人類の範疇を超えてる…
( 2010年09月09日 19:43 )
人間七七四年 | URL | -
たしか堺を焼き打ちした理由は、大阪方が矢銭(戦費)の寄附と堺町衆の私設武士団みたいなのを味方として貸すように求めて、断られた為だったように記憶してる。
しかし、矢銭断って信長に焼き打ちされた経験あんのに繰り返すなんて、やっぱちょっとおかしいよ堺。
のらりくらりしてるうちに徳川方が到着して無事だったかも知れないのにね。
( 2010年09月09日 21:36 )
人間七七四年 | URL | -
まずは長文お許しを。
>矢銭断って信長に焼き打ちされた経験あんのに
信長・豊臣時と、大阪の陣時の堺を混同してはいけないと思いますよ?
信長時代が堺の絶頂期と思われ。豊臣時代は大きな街だが、全国制覇により他の港街も確保された事により、「堺だけが特別」ではなくなった。あと、忘れてはいけないのは堺自体が直轄領にされて居ます。つまりは自治で無く、奉行が居ます。
そして大坂の陣時の堺は、大阪の街形成の為に商人を大量に強制移住させた為に、往時の経済力は持っていない。つまり私設武装集団等を雇えるだけの余裕も権限も有ると言えないし、有ったとしてもそんな事したら一揆や徳川軍への参加意思表示の類として見られる可能性が高く、より一層討伐の対象にされる可能性が有ります。てか、徳川への物資供給したからこそ目を付けられてたって事ですよ。
でも、元を質せば冬の陣で大阪が乱暴狼藉を働いたから悪いのであって、それを逆恨みしたのが大坂方でしょうね。
( 2010年09月10日 14:04 )
人間七七四年 | URL | pK.oNfME
鎖引きちぎれるなら最初から・・・
( 2014年10月29日 06:36 [Edit] )
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