987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/14(火) 01:20:45 ID:+VUY7ex5
その昔駿府城では、城内で謡曲の“芭蕉”を謡ってはいけない、というタブーがあった。
この曲は内容的には、年老いた女の姿をした芭蕉の精霊が、僧侶に世の中の無常を語るというだけの、
謡曲としては珍しくないテーマのものなのだが、
無常を謡うものだから、あまり景気のいい曲ではない。
桶狭間合戦の出陣前夜、これを今川義元が駿府館で謡った。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
それを聞いた家臣の松田左膳は、歌詞が不吉だと窘めたが、興を削がれて怒った義元はそれに怒って
左膳を手討ちにした。
そして合戦が始まり、義元が桶狭間に陣を据えると、どこからか左膳が謡う声がした。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
たちまち雨が降り始め、風が吹き荒れた。
どうしたことと驚く義元の眼前に、織田の軍勢が殺到した。
以降、駿府館が駿府城と呼ばれるようになってからも、城内で「芭蕉」を謡うのは不吉とされた。
ところが時代が下り、家康の子息達が駿府城に入るようになると、彼らはこういう噂を軽んじ、徳川忠長は
城内でこの曲を演じさせた。
すると、たちまち風雨が起こり、雷鳴がいななくと共にどこからともなく男が謡った。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
しばらくして忠長は甲州へ送られ遂に高崎で切腹となった。
以降、幕末まで、駿府城内では「芭蕉」は口ずさんだりすることさえ固く禁じられた。
994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/14(火) 18:12:08 ID:oaB6VEox
>>987
その話、徳川頼宣も同じように芭蕉を演じさせたけど、
家臣に咎められて途中でやめた。
しかし直後紀州に藩変えになった。
という話を見たことがある。
家臣の名前は見てないけど、なんとなく脳内で安藤さん変換した。
995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/14(火) 20:52:06 ID:pkTV6tzX
安藤さんそんな迷信的じゃないと思うけど・・・
996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 13:33:44 ID:9mmGDCg4
迷信と科学なんて親戚みたいなもの
今現在最先端の科学って言われてることでも
後の世になったら迷信って言われてるようになる
997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 14:37:15 ID:CKnqUdWF
そうそう。
地動説なんて、完全に迷信だったもんな。
998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 15:24:35 ID:Vs0xM6cH
天動説のことを言っているのか、
それとも計算が簡単にできるために現在では「地動説」を使っているだけで、
座標をどこに取るかは本来自由だ、ということを言っているのか
999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 15:42:55 ID:K/2hezId
>>996-997
それは、程度の違う話をごちゃ混ぜにしてるだけ。
呪術・祈祷・亡霊・妖怪等、電波飛びまくりの不思議社会だった室町時代から、
迷信を排した合理的な江戸時代の社会まで、人間の意識はかなり急速に切り替わっている。
150年間の戦国時代はその過渡期だ。
戦国初期の人と、末期の人ではものの考え方が全然違う。
吉凶や占い、神罰仏罰を無視した信長とその部下たち。
出陣の吉日選びをせずに戦争に勝ち続け、仏を信じず、神を脅迫した秀吉。
呪いをかけられても無関心だった家康。
誰かが、誰かに影響を与え合って時代の流れができていくわけで、
歴史ってつながってるんだよね。
その昔駿府城では、城内で謡曲の“芭蕉”を謡ってはいけない、というタブーがあった。
この曲は内容的には、年老いた女の姿をした芭蕉の精霊が、僧侶に世の中の無常を語るというだけの、
謡曲としては珍しくないテーマのものなのだが、
無常を謡うものだから、あまり景気のいい曲ではない。
桶狭間合戦の出陣前夜、これを今川義元が駿府館で謡った。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
それを聞いた家臣の松田左膳は、歌詞が不吉だと窘めたが、興を削がれて怒った義元はそれに怒って
左膳を手討ちにした。
そして合戦が始まり、義元が桶狭間に陣を据えると、どこからか左膳が謡う声がした。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
たちまち雨が降り始め、風が吹き荒れた。
どうしたことと驚く義元の眼前に、織田の軍勢が殺到した。
以降、駿府館が駿府城と呼ばれるようになってからも、城内で「芭蕉」を謡うのは不吉とされた。
ところが時代が下り、家康の子息達が駿府城に入るようになると、彼らはこういう噂を軽んじ、徳川忠長は
城内でこの曲を演じさせた。
すると、たちまち風雨が起こり、雷鳴がいななくと共にどこからともなく男が謡った。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
しばらくして忠長は甲州へ送られ遂に高崎で切腹となった。
以降、幕末まで、駿府城内では「芭蕉」は口ずさんだりすることさえ固く禁じられた。
994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/14(火) 18:12:08 ID:oaB6VEox
>>987
その話、徳川頼宣も同じように芭蕉を演じさせたけど、
家臣に咎められて途中でやめた。
しかし直後紀州に藩変えになった。
という話を見たことがある。
家臣の名前は見てないけど、なんとなく脳内で安藤さん変換した。
995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/14(火) 20:52:06 ID:pkTV6tzX
安藤さんそんな迷信的じゃないと思うけど・・・
996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 13:33:44 ID:9mmGDCg4
迷信と科学なんて親戚みたいなもの
今現在最先端の科学って言われてることでも
後の世になったら迷信って言われてるようになる
997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 14:37:15 ID:CKnqUdWF
そうそう。
地動説なんて、完全に迷信だったもんな。
998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 15:24:35 ID:Vs0xM6cH
天動説のことを言っているのか、
それとも計算が簡単にできるために現在では「地動説」を使っているだけで、
座標をどこに取るかは本来自由だ、ということを言っているのか
999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 15:42:55 ID:K/2hezId
>>996-997
それは、程度の違う話をごちゃ混ぜにしてるだけ。
呪術・祈祷・亡霊・妖怪等、電波飛びまくりの不思議社会だった室町時代から、
迷信を排した合理的な江戸時代の社会まで、人間の意識はかなり急速に切り替わっている。
150年間の戦国時代はその過渡期だ。
戦国初期の人と、末期の人ではものの考え方が全然違う。
吉凶や占い、神罰仏罰を無視した信長とその部下たち。
出陣の吉日選びをせずに戦争に勝ち続け、仏を信じず、神を脅迫した秀吉。
呪いをかけられても無関心だった家康。
誰かが、誰かに影響を与え合って時代の流れができていくわけで、
歴史ってつながってるんだよね。
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コメント
人間七七四年 | URL | XZ039GEA
家康が関ヶ原や大阪の役前に謡っていたらどうなっていたんだろ?
( 2010年09月15日 01:01 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
性格的に家康はそういう士気が落ちそうなことは絶対にしないけどな。
( 2010年09月15日 01:12 )
人間七七四年 | URL | LkZag.iM
「不吉なので止めておけ」と言われている事を、自らの好奇心のためだけに為さるのか。
とか言いそうだ直次
( 2010年09月15日 13:37 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
この押してはいけないスイッチ感
たまらないぜぇ・・・
( 2010年09月15日 19:24 )
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