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滝川雄利の人質

2010年09月27日 00:00

246 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 17:03:21 ID:aeMo3vtX
殺されるはずだった人質などを助命した話しとかない?




254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:45:52 ID:C1D62bma
>>246貴殿がお望みの主旨とはズレると思われるが


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の間で緊張が高まる中、信雄の重臣・滝川雄利は、秀吉のもとに人質として
わが子を送り、秀吉はこれを脇坂安治に預けた。

ところが信雄は徳川家康と組んで秀吉に対することになり、雄利はなんとか子供を取り返そうと考え、安治に
「妻の病が重い。子供を一時こちらに戻し、対面させてやってほしい。」と申し出た。
安治は申し出を請けた。まんまと子を取り返し、後顧の憂いの無くなった雄利は、伊賀上野に築城まで始めてしまった。

上野城の話を聞いた秀吉は、激怒した。
「安治!雄利の子を連れて来い!!」「えー、あー、そのぅ、返してしまいました!」
秀吉の怒りは、頂点に達した。

「道理で、雄利め…この始末、どう付けてくれるつもりじゃ!!」
「も、申し訳ございません!これから上野城を攻め、討ち死にして参ります!」
「ふん!三千石取りの、おまえの配下など数十人しかおらんのに、どうやって城攻めが出来る?まさか、攻めるなどと
言いつつ、雄利に呼応するつもりではあるまいな?」
「なんで秀吉様の恩を忘れましょう?お疑いならば、私も母を人質として残して行きます。御免!!」

涙まで流して秀吉のもとを発ち、二十人ばかりの配下を連れて伊賀に入った安治は、それはもう必死で地侍に説いた。
「雄利を討つために、助太刀を願いたい。味方になり、功のあった者は所領を安堵し、先に取った人質も返そう。」
たちまち多くの地侍が味方になり、安治は上野城の攻略に成功し、戦後に摂津能勢一万石を与えられた。


世知辛い戦国の世に、あっさり雄利の子を返した事と言い、伊賀の地侍への説得のセリフと言い、好意的に見れば
実は人質を取るのが嫌いor卑怯な事と考えてたんじゃ?という、地味に漢な貂の皮の人の話。




255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:47:53 ID:OS0IU9ND
どう見ても悪い話しでしょ・・・
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    脇坂安治というと関ヶ原のダメだしな裏切りが有名だが、このエピソードを境にドライな人物になっていったんだろうな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    安治は戦術面ではそれなりに有用なんだよ。
    三河者並みに面倒くさい水軍衆を率いれるぐらいだし。

    ただ外交とか戦略は限りなくゼロに近い。
    もっとも本人も自覚していたらしく以降は彼の認めた藤堂高虎に金魚の糞の如く付きまとう。

    結果として徳川大名として名を残すので、この時の教訓が生きたのかな?

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