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北条高広の降伏

2010年10月01日 00:00

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 18:30:41 ID:uhy7sY8i
上杉家の関東最前線に配されながら、情勢次第の行動をとった北条高広

謙信死後の御館の乱で景虎=北条派に属したものの、
景虎が自害すると武田勝頼に臣従し、織田がくれば滝川一益に従った。
ところが本能寺の変で織田までがいなくなると、
後北条と徳川の同盟が成立、後北条の北関東侵略にさらされるようになる。

天正十一年。
後北条氏は真田領を奪取すべく、高広にも出兵を命じた。
明らかな踏み絵だが、高広はこれを拒否し、抗戦の道を選ぶ。

そして、援軍を頼んだ先は、上杉景勝

真田昌幸がどうこう言われるが、こいつも相当なタマだ。
どうせ北関東死守のために景勝は動かざるをえないし、
そうすれば佐竹や宇都宮ら、反北条勢も動くだろうとたかをくくっていたらしい。

ところが、領内すら不安定な景勝の動きは鈍く、数ヶ月たっても牽制すらしてくれない。
焦った高広は、直江兼続らに長々と書状を送って援軍を懇望したが、たいした効果はなかった。

高広は半年以上も孤立した戦いを繰り広げ、ついに降伏した。
その後の彼の人生については、よくわかっていない。




356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 18:39:54 ID:izVheoeP
北条側につかなかったところまでは正解だったが・・・・
今までの行動が仇になってしまったなー
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >長縁
    『ながより』とも読めるな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    地味加藤さんは松山城の歴代城主の紹介はよしあきらだったとおもう。
    松山じゃ名君だったから大層感謝され大仰な呼び方に~みたいなのを別のスレのコメントで読んだような…?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    読みや漢字をひとつに決めるなんて最近の風潮で、昔はなんでもありだった可能性が高い

  4. 人間七七四年 | URL | -

    半年ももったって凄いな
    北条だけでなく北条も上杉来るの待っててぶちのめす気だったのかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    昔は音が合ってりゃなんでもいい感あるもんな
    けど公式文書はきちっと書かなきゃならんかな?>杉原さんとか


    北条城、上条城みたいな話した気がするけどここだっけな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    増田長盛「とある人物が『真下』と書き間違えたおかげで読みが判明しました」
    黒田官兵衛「宣教師の手紙にあるローマ字で読みが判明しました」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    米5
    感状や統治の信任状のような公式文書ではきちっとしてたはず。
    おかげで水原さんは名前の方を合わせる事にw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    音さえあってりゃ…
    で、お年寄りの名前は平凡な音にバラエティに富んだ漢字を充ててるわけですな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    祐筆「ヤベッ、度忘れした。醍ってどんな字だったっけ…」
    ラスボス「ダイ?そんなの『大』で良いだろ。はっはっは」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    某七本槍「加藤孫六こと加藤嘉明(よしあきら)~」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    …よしあき等か!
    最初意味が解らんかった。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    高広はとにかく戦が強いことを謙信に評価されて上野任されたから普通に半年守り抜いてただけかもしれん。
    まあ忠誠心はないが。

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