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斎藤新五と‘的場の清水’

2010年10月18日 00:01

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 11:30:50 ID:wVsiHboP
織田と上杉が睨み合いをしていた頃、織田信忠配下として越中の護りに派遣された斎藤新五なる将がいた
彼は常願寺川のほとり、太田庄本郷に砦を築き上杉に備えた

その頃、彼の娘は酷い皮膚病を患い医者の薬も効かない有様であった
彼は近隣の刀尾神社に娘の快方を祈りに足繁く通い続けた

21日目、彼の枕元に弓矢を携えた刀尾権現の化身が立ち
「この矢の刺さりし場所を探し出す事が出来れば百薬の水が湧きいでておろう」
と言い、丑寅の方角に矢を放ち消えた

彼は見事に矢を探し出すと、果たして水が湧いていた
水の効能か彼の娘は無事回復
その湧水は地名をとって‘的場の清水’と呼ばれる様になったと言われる



斎藤新五という名は富山市の‘的場の清水’の案内看板準拠なんだが…
実質的に斎藤道三の末子斎藤利治の事である
この後、彼は織田信忠と共に二条城で戦死している

太田庄本郷の砦のあった、現富山市太田地区に彼の菩提寺の円光寺がある
‘的場の清水’もその近隣に遺構を残している
涸れてしまっているので遺構、残念ながらもう飲めません





755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 14:00:22 ID:O4v0a1PA
>>749
明治以前の日本って疥癬病みがものすごく沢山いたらしいからな

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 14:44:21 ID:D5+ay5sf
>>749
トーチャンありがとう…
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    斎藤利治といえば月岡野の戦いの時、ほぼ独力で
    上杉軍を破っているんだよね。
    本能寺の変が無ければ親父に負けない知名度のある
    武将になっていたんじゃないかな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    斎藤新五郎はなんつーか、惜しいよね。

    しかし、
    富山に佐々以外の逸話があるなんて。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    皮膚の病で見るも無惨な娘の顔からできものが引くと、
    それはそれはたいそうな器量だったではありませんか

    だったらいいのに

  4. 人間七七四年 | URL | -

    新五郎は信忠から見たら義理の叔父になるのか
    もっと知られていいと思う

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >地名をとって

    「もともと『的場』という地名だった」のか?それとも「この逸話に由来する地名」なのか?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    『矢が刺さった場所』だから『的場』なんじゃないの?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    自分の中でコイツは志賀親次と並んで
    未完の大器ですわ 波乱万丈の生涯だしもっと注目されるべき

  8. 人間七七四年 | URL | JPG8Eu66

    美濃攻めでも加治田城などの中濃攻めで大活躍してるしマジで本能寺がなければ次代の織田家の重臣こうほだよねえ

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